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[コメント] ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン!(2007/英=仏)

撃・つ・ぞ・!
ペペロンチーノ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







何故公開署名を求めねばならんほど配給が決まらんかったのか分からんが、公開されてよかった。面白かった。 もしかすると道徳的な意味合いで配給会社に嫌われたのかもしれないが、この映画の本質は道徳的なそれとは別の所にあると思う。

これは、「固定観念」言い換えれば「凝り固まった考え方」を打破する物語だ。

この映画は、村民側と主人公側双方が相容れない固定観念に捕らわれてスタートする。 通常「ど田舎に左遷された敏腕警官」という設定なら、双方が固定観念を払拭して歩み寄りめでたしめでたしという所だが、この映画は最後まで相容れることはない。 だが主人公は、仲間や『バッドボーイズ2バッド』や『ハートブルー』のおかげで固定観念を払拭する。『ハートブルー』かよっ! 一方村民側は固定観念を変えることは無い。これは撃つべき対象だ。

劇中クロスワードで「クソババア(だったかな?)」「醜悪な老女(だったかな?)」という言葉が出てくるが、これは「凝り固まった考え方」の代名詞なのだ。 ど田舎で暮らす彼らの世界観は、実に半径数メートルの狭い範囲内でしかない。 関係者は、配偶者か実子かせいぜい犬くらいだ(この映画は不思議と“家族”という概念はあまり出てこない)。 その少ない情報源の中で、「公共のため」という名目で「自分の快適な世界」を守ろうとする。それは“公共”ではなく“エゴ”だ。 彼らが守ろうとするのは“村”ではない。「村を守る」ということは、広い世界の中に於ける相対的な行為だからだ。ただ単に「自分が快適な世界」を守ろうとしているのである。 例えば引っ越し予定の女性のエピソード。「自分の周囲は同意見」なのではなく「意見に反する者を排除」しているにすぎない。 それに気付かず(それに洗脳されている者も含めて)、あたかも“公共”の如く“エゴ”をぶちまける。これは害毒だ。 心理学関係の本で最近読んだのだが、「自分の経験のみが真実だと固執する」「相容れない考え方を執拗に攻撃する」という症例があるそうで、私はそれを病気だと思っていたのだが、実は老化なのだそうだ。要するに新しい物を受け入れられない、理解できないのだ。それだけならまだいい。それを攻撃するようになると悪質だ。「醜悪な老女」「クソババア」。この映画は、それを撃つ映画だ。

(評価:★4)

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