[コメント] ダークナイト(2008/米)
ゴッサムシティにバットマンとジョーカーがいる。バットマンは正義を司るヒーローであり、ジョーカーは悪者だ。
以上が、「バットマン」というお話の大筋であって、この作品の出発点も当然そこから始まっている。その上で、バットマンとジョーカーに再解釈を与えたのが本作だ。「善」と「悪」の立ち位置を、つまりはバットマンとジョーカーのキャラクター像を掘り下げて、物語を構築する。物語をどれだけズラしてもヒネっても彼らがバットマンとジョーカーである限りその設定は破綻しない。
だからこの映画を観るにあたって私たちは、例えば「バットマンが実は悪の枢軸で、裏でジョーカーを操りながら世界征服を企てているのでは?」だとか「ジョーカーって実はものすごい人格者で、マフィアを検挙するために人を殺したふりをしながら市民を匿っているCIAか何かの人間なのでは?」という疑いを持つことは決してない。バットマンはどれだけヒネってもバットマンだし、ジョーカーは決して善に転じないという、ある意味での「担保」が、観客の側に用意されているのだ。キャラクターが定まっているという強みはそこにあって、「バットマン」というお話をベースにしている限り物語にはセーフティネットが張られた状態なのだ。そのセーフティネットがあるから、作り手は「善」と「悪」を好きなように転がしながらダイナミックなストーリーを描くことが出来る。
これは明らかに同人誌(二次創作)の論法であって、オリジナルでやろうとしたら2時間半じゃ決して収まらない類の作劇だろうと思う。
だからこういうのは、コミケでやればいいと思うんだ。たとえオリジナルじゃなくたって、真摯に情熱を持ってあたれば1から10までまったく面白い作品ができるってことを、ノーランは今作で証明したと思うんだ。あの55万人の蠢きの中から、いつかは角川や東宝をひっくり返すような作品が生まれてくる可能性を、『ダークナイト』という映画は指し示していると思うんだ。
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