[コメント] ハンサム★スーツ(2008/日)
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あー、ひどい話になりそう。
正直、なんか解決しちゃってる感じッスね。という印象だった。画面のクオリティはけっこう高いと思うし、役者・塚地はもはや磐石。脇も締まっているし、各エピソードも楽しいし痴漢のトコなんてかなり染みる。総じて、娯楽作品としてのラインは超えてきていると思う。
だけどー。まぁ、31年間ブサイクとして様々なことを右から左に受け流したり、ときにドーンとやられて死にたくなったりしてきた私としては、やっぱり鈴木おさむという人は解決しちゃってるんだな、と思うんですよね。ブサイクに対する葛藤がない。ブサイクを受け入れてしまっているし、実に打ち勝っているし、上手に商材として料理してしまっている。ガチなんですよ。大島と結婚しちゃってることからしても、この人はガチなんです。そして、ブサイクのリアルはガチなんて求めてないんです。どっかで、やっぱり、認めてないんです。
だからこのラストは受け入れられない。大島が実は北川景子だったら……という夢想を、夢想として笑い飛ばすことが出来ないんです。そりゃねーぜって思っちゃうわけです。俺ら、脱げねーぜって。
すごく最悪な例えを出します。
南アの黒人社会を描いた『ツォツィ』やアメリカの差別問題を扱った『クラッシュ』で、被差別人種である黒人が裕福な黒人に対して激しい憎悪を燃やすシーンがあります。鈴木おさむってのは、私らからすると“裕福な黒人”なんですよ。才能に恵まれてるし、ブサイクを克己している。そこには脱却がある。それは、強さ、と言い換えてもいい。
そしてこの映画には、明らかに「大島=作り手の嫁」というエクスキューズが働いているように思う。美人がブスのスーツを着ていたという残酷な設定において「そこに本質はない」と映画が言い切れるのは、脚本家の嫁がその記号を体現する存在だからに他ならないと感じられてしまうのです。
そう感じられてしまうのは、私自身のコンプレックスが映画を歪んだ視線で眺めているからに決まってるんです。それでも、私には無理なんです。北川景子はすごくかわいいから、あの笑顔を見せられてなお「女の顔の美醜に本質はない」などとは言い切れない。どれだけ大島と解り合ったって、その中から北川景子が現れたら「ラッキーじゃん!」と思ってしまう。大島は大島のままでいいなんて思えない。そう思ってんのは鈴木おさむだけなんじゃねーかとさえ思う。「俺は大島好きだけど、おめーらどうせカワイコちゃんのがいいんだろ」って、鈴木おさむはそうせせら笑ってるようにさえ思っちゃう。そして、そんな鈴木おさむに対して私は人としての劣等感を禁じえない……。
そういう我が心持ちの現金さというか、もっと言ってしまえば、醜さ、を再確認させられてしまった思いで、何ともまた、死にたくなるわけですわ。あー、これはさすがにアップしようかどうか迷うなぁ。するけど。
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