[コメント] ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト(2008/米=英)
たかがロックンロール、でも好きよ。などとは云うけれども、果たしてロックンロールとは何なのか。私にとってその答えはしごく簡単で、ロックンロールとはダンス・ミュージックである。レゲエをやってもディスコを取り入れてもヒップホップに色目を使ってもストーンズがロックンロール・バンドでありつづけていたのは、それらが各時代におけるストーンズ流のダンス・ミュージックの提示であったからで、またそもそも彼らは泥臭いアメリカのブルーズをダンス・ミュージックとして解釈することからキャリアを出発させたのではなかったか。しかし私にとってストーンズが特別な存在であるのは、彼らが“Sympathy for the Devil”“Shattered”をはじめとする(あるいは、どれほど厳しく判定しても、少なくともこの二曲の)未曾有のダンス・ナンバーを発明したから、そしてジャガーという人間を擁しているからにほかならない。常に聴衆の誰よりも率先して、かつ激しく踊るジャガー。理念やら思想性やらロックンロールにまつわる諸々をすべて括弧にくくっても、ジャガーはそのダンスという一点においてロックンロールを体現している。この『シャイン・ア・ライト』を見ても痛感するように、実際ジャガーほどにリズム感と激しさと独創性を備えたダンスを持つシンガーは他にいないのではないか(まあ、マイケル・ジャクソンという人もいますけれども)。もちろんここでのストーンズの演奏には最高に興奮させられたけれども、したがって、敢えて偏った云い方をすれば、これは私にとっては六〇億分の一の被写体ミック・ジャガーのダンス映画である。
スコセッシについても触れておこう。バストショットないしそれより近距離のショットをがんがん繋ぐ仕方は(もちろん、単純に比較するには条件の異なる点が多いのですが)『ラスト・ワルツ』あるいは『レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー』などよりも大きな熱狂を作り出すことに成功していると思うし、音のバランスの絶え間ない調整、たとえばリチャーズが写っているときはリチャーズの音を大きく、同様にロン・ウッドが写っているときはウッドの音を、チャーリー・ワッツが写っているときはワッツの音を大きくする、などというのもコンサートの忠実な再現からは離れるけれども映画の観客に対しては効果的な提示法だろう。また、メタ・ドキュメンタリでもある導入部は、やきもきするスコセッシ側と素知らぬふりのバンド側の対比が実に面白く、スコセッシのコメディとしても最良の部類に入るのではないかと思う(というのは誉めすぎとしても、やっぱり「ジャガーに照明当てすぎたら熱くて燃えます」「そりゃまずい」のくだりなんていつものスコセッシ作品の気取りがないぶん素直に笑っちゃいますね)。
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