[コメント] ヤッターマン(2008/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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2009.3.9、チケットショップに行くと「ヤッターマン」の前売りはすでに売り切れていたので、「梅田ピカデリー」の鑑賞優待券を1,200円也で購入。裏面には飲食物50円引きの割引券が印刷してある。そういえば『戦場のメリークリスマス』も『ガンダムI, II, III』もこのビルで見たなと思いながらシアター4に入ってみると、おお、ここは私がまだ20代の折、『魔女の宅急便』を、小さな女の子を連れたお母様方の白目光線に晒されながら一人で見た劇場ではないかいな。一番後ろの列に陣取って見てると、今日の客層はジャニオタの女子中高生が圧倒的のようで、上映中でもケータイ開けて見たり、袋からがさごそ外で買った品物出して食ったりしてた。ここまで全員一致で無法地帯だと、こっちも少々落ち度があっても安心して見られるというものだ。しかし、この劇場のポップコーンはサイズが選べないのがダメだ。今日こそLサイズを食おうと思っていたのに...あと、フロア全体が禁煙になってないのはダメだ。場内までたばこ臭くてかなわん。
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さて、待ちに待った劇場版ヤッターマンの封切りである。監督の三池崇史なる人の映画はあんまり見たことがないが、そういえば『妖怪大戦争』はつまらなかった上に、あろうことか神木隆之介のお尻のアップを入れるというありえない「サービス」に憤ってしまったのを思い出した。世の中を「貴族的」なもの、「武士的」なもの、そして「百姓的」なものに分けるとすれば、間違いなくこの人は百姓的だと思う。
それはともかく本来のタツノコ的演出というのは徹底したわかりやすさに本領があるはずだが、本作はヤッターマンとドロンボーの大乱闘でスタートすることに象徴されるとおり、カナリの部分を見ている側の常識に依存している。シリーズものになったストーリー漫画を二時間以内の枠で実写化しなければならないという課題がある故に、この演出意図は理解できなくもないが、あまりにも敷居が高すぎて私のような40代のオッサンファン(この映画が本来ターゲットにしている層)は「この映画は他の年代に理解されるのか?」と余計な心配をしてしまうし、もう一つのターゲット層であるジャニーズやアイドルのファンからすると、露出が意外に少なくてがっかりということにならないかと思う。
本来のタイムボカンシリーズの魅力の一つは「様式美とも言えなくもないマンネリ感(吉本新喜劇のギャグにも通じるワンパターンな展開)」であるが、それをより効果的にするには、導入部の丁寧な説明と、パターンの繰り返し(一味のインチキ商売→宝探し→戦闘→おしおき)を経る必要があると思う。エンディングについては一本の映画として成立させる必要上、本作のように最終話エピソードまで取り込むのも理解できるが、もう少ししょぼしょぼと続き物的に終わる手も有ったのではと感じた。(この辺本作では「次週予告」という形で続きも可能であるという示唆を行っていて、これは上手いやりかただ。)
ヤッターマン側の素顔や日常生活がほとんど描かれず、正義の味方の裏の顔である、いち個人としての背景が描き込まれなくて薄っぺらい扱いになっているのは少々残念な点ではある。
タツノコ原作の実写映画として、というより「映画」という表現手段における論外の最高駄作、永遠に語り継がれるであろう最高駄作『CASSHERN』よりは遙かに上出来であると思うが、ダメなものを基準に置いて比較するのは間違っている。『スピード・レーサー』は外国人であるウォシャウスキー兄弟が作ってるにも関わらず「わかってるじゃない!」とうれしくなるようなできばえのものも存在するわけで、そういう点から考えると、あと一歩及ばずという感じがしてしまう。
ただ、深田恭子演ずるドロンジョは、彼女でなければここまで魅力有るドロンジョ像は造れなかったろうと思わせるものがあるし、ほとんどのシーンで素顔がマスクの下に隠れているにもかかわらず、深田恭子の存在感が常に光っていた。また、ケンドーコバヤシが演じるトンズラーは、カナリの健闘ぶりで、特に彼の妄想内で展開されるタイガーマスクのパロディには笑ってしまった。芸達者の生瀬勝久が演じるボヤッキーの出番が少々少なかったのと、ちょっと下品に振りすぎたかなと残念な感じがしないでもない。本来のボヤッキーは、あそこまで下世話ではない。
40代のオッサンにとってタツノコアニメは思い入れが深く、どうしても「ここが残念、あそこも残念」という減点方式の見方になってしまったのだが、全体としては上出来の部類だと思う。ジャニーズタレントや吉本芸人オンパレードにしなかったのも高評価。
しかし、下ネタの多さも相まって、子供がいきなり見ても全貌をつかめないようなできである点は大きくマイナスだと思う。また、福田沙紀が「二号さん」ネタのギャグをやるのだが、言ってる本人が「二号さん」の意味わかってないんじゃないかと思えておかしかった。
原作は、なんだかんだ言いながら上品な筋が背骨に一本通っていたのだが、本作はそれにはちょっと及ばずと言う感じではある。
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関係ないけど「テッカマン」を誰か実写映画にしてくれないか。いやマジで。
〜〜〜 なお余談であるが、エンドロール中に帰ってしまう連中が結構いたのでびっくりした。長い人生の中の5分くらい落ち着いてエンドロールにつきあえないものかと思うし、それより何より、どう考えてもエンドロールの最後におまけが付いていそうなこんな映画で、最後まで座ってないとはどんな考えなのだと、小一時間問い詰めたくなった。
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