[コメント] ワルキューレ(2008/米=独)
もしクルーズが、『PROMISE 無極』の真田広之並みに独語を猛特訓して、ドイツ人俳優の中で堂々と主演を張ったならば、同じ内容であれば充分貫禄と風格を持った名作となり得たのではないだろうか。まず、エンターテイメントとしては面白かったと思う。
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アドルフ=ヒットラーを弑する理由を説明する必要がないのが史実に基づく映画の利点、というのは理解出来る。しかし利点があるから映画にするのではなく、矢張りこれは「現実に存在した、危険を顧みず圧倒的な独裁者に挑んだひとびとを、埋れさせないために製作された映画」だと思いたい。
だが、そこで考えなければならないのは、クーデターは何処まで行っても権力奪取である事からは逃れられない、という事だ。
敗戦まで自国がした行為を知らなかったドイツ人は多かった。敗戦まで自国がした行為を知らなかった日本人は多かった。しかし戦争中にも自国の侵略行為を支持したドイツ人も多かった。戦争中自国のアジア覇権を支持した日本人も多かった。… いや、ドイツと日本の戦争中の行為を比較する議論は必要ない。戦争遂行中、国民に与えられた情報は制限されていたが、他国への進軍という行為に対する国民の支持という点では一致していたと言いたいのだ。国防の意識が要になっている。そして、それはシュタウフェンヴェルク大佐の中にも、ある。
戦後、ナチスは完全に否定され、ドイツは第三帝国と決別した。それは戦争中のヒトラーの指導性(カリスマと統帥権)の高さによる所も大きいだろう。他方の日本では天皇にそこまでの指導力はなかったとされ、当時の集団指導体制への追及も連合国任せにした為に大きな禍根を残す事となった。戦争中の指導者の流れは戦後に引き継がれ、旧軍の思想も警察予備隊から自衛隊へと継承された。だから、日本ではこの作品のような映画が作られる事は絶対になく、他国が日本を舞台に作ったとしても、日本人の多くはそれを支持しないだろう。(日本ではそういう史実がなかったという事は関係ない。例えばゾルゲなどはソ連国家へ利する目的で活動していた訳だが、当時の軍国へ与えたダメージとその後の反動としての思想弾圧の強化、という側面で受け取れる日本人がどれだけ居るだろうか。一皮剥けば、当時の防諜思想から現在の日本人も全く脱していない事は、昨今の報道を見ても明らかであろう。)
だからこそ、そういう鏡から見たら、このシュタウフェンヴェルク大佐らの勇気ある行動を賞賛する危険をもまた考えざるを得ない。ドイツ国民の為に、欧州市民の為に、ヒトラーは暗殺されなければならない、と説く。暗殺するからには、その後を考えなければ殆ど無に帰する、とシュタウフェンヴェルク大佐(クルーズ)は訴える。 … 尤もに聞こえる思想の中に、個人の存在は失われる。個人は国家から開放された場所に心の在処を持たない限り、愛国心や権力主義に絡めとられて行かざるを得ないのだ。
そして、… 日本人はジレンマに陥ると黙る。権力者に対し無抵抗になる。その内自然に尻尾を振るようになる。この映画から得るものは「ドイツ政府は国境を越えて軍を他国へ侵攻させた。ユダヤ人を迫害した。反対派を弾圧した。それに抵抗したひとびとがいた」という事だ。
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