[コメント] クローズ ZERO II(2009/日)
告白してしまえば小学校5年生だったか、私が初めて子どもだけで見に行った映画が『ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌』だった。電車で10分ほどの隣町に1軒だけあった寂れた映画館はボクらにとってビッカビカに輝く完全無欠のワンダーランドであり、そのスクリーン上で繰り広げられた“城東のボンタン狩り”という、まったく未体験で理解不能な恐怖と高揚感こそが私の映画の原体験なのである。いたってのどかな田園風景のなかですくすくと、かつ怠惰に育った私にとって不良とは『ビー・バップ』であり、“城東のボンタン狩り”なのだ。
ところでそのころ私たちの世界には大変革が起こっていた。ファミコンの登場である。私たちの生活は瞬く間に「イー・アル・カンフー」や「スパルタンX」、「スーパーマリオブラザーズ」に支配され、彼らとの戦いこそが私たちの日常となった。私たちは、より強い敵を求めてあくなき前進を続け、目の前に現れる敵が強くなってゆくことにまた恐怖と高揚感をおぼえ、やがて彼らを打倒することこそが人生の目標となっていった。そんな私たちを、誰かは後に“ゲーム脳”と呼んだ。
『クローズZEROII』は、そんな私の原体験の双方を満たしてくれた映画だった。
何より、戦いが始まる前に、鳴海大我がラスボスに相応しい強さと存在感を示していたことが大きい。いま思い出せば『ビー・バップ』のヤバさは城東のヤバさだった。そして後の作品で、城東を越え、もっともヤバイ雰囲気を醸し出したのが、6作目に登場したジュンだったんだ。ジュンが明らかに、一番怖いヤツだった。そしてジュンを演じていたのはデビュー直後の的場浩司で、『クローズZEROII』に登場した鳳仙の的場は的場浩司にどこか顔だちが似ていた。それを認識した瞬間、私の“ゲーム脳”は、的場よりヤバイ感じの鳴海と漆原を不良映画史上もっともヤバイ奴らに位置づけてしまった。
もっともヤバイ奴らが屋上で待っている。そいつらを、オレは倒しに行く。はっきり言ってそれだけでもう100点満点であって、“ゲーム脳”にカチリとスイッチが入ってしまった私にとっては、やべきょうすけの「命を大切に!」なんて絶叫はまったく不要のものだ。そんなことはわかってる。“ゲーム脳”たちはあの頃、「何度でもやり直せるさ」なんて軽い気持ちでゲームに挑んでいたわけじゃない。心が折れるまで、どれだけ傷ついて倒されても、何度でも立ち向かっていく勇者だったんだ。
えーと、なんの話だっけ。映画だ。
そんなわけで『クローズZEROII』、たいへん興奮するクライマックスでした。どっぷり感情移入して楽しんでしまいました。アクションシーンのエフェクトとかは前作のほうが手が込んでて好みではありますが、対立の構図において敵の恐怖をキッチリ描ききっていたところがすごく良い。
それと、原作を読んでいなかったので知らなかったのですが、鳴海たちは原作には出てこない映画のオリジナルキャラクターなのだそうで。彼らのキャラクター造形というのがヤンキーともヤクザともヤク中とも違う、あまり見たことのない新しい“恐怖”として機能していたと思います。その意味で「現代のヤンキー映画」としてしっかり主張のある作品だと思うし、そこらへんがやっぱりさすが三池だなぁと思うところです。
前日譚の後日談という、原作とはパラレルをなす作品世界の構造が物語の意味を漂白し、純粋な対立図と明瞭な血の匂いだけが残った。というところでしょうか。★4。
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