[コメント] 陽のあたる場所(1951/米)
新聞・ラジオの使い方や湖の対比が上手い。特に観客に向けての状況説明のためによく用いられた新聞という小道具を使って、シェリー・ウィンタースがモンゴメリー・クリフトとエリザベス・テイラーの関係に勘付く契機とするとともに、改めてクリフトの上流階級入り(及びウィンタースとの懸隔)を印象付けるあたり。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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プロットだけを抜き出せばクリフトの自業自得の話と斬り捨てられてもおかしくないが、ここではクリフトに多分に同情の余地を残し、物語に複雑性を与える措置がさまざまに講じられている。そしてその「措置」は演出・撮影・演技の全般にわたっている。
たとえばウィンタースの演技。観客の同情を一身に集めてもよいはずのウィンタースは、しかしそのヒステリックな演技でキャラクタ間のバランスを取る(とりわけ男性観客に対してはクリフトへの感情移入を促すのではないでしょうか)。またテイラーはその圧倒的な美しさで、クリフトがウィンタースから彼女に「乗り換える」のもむべなるかなと観客に思わせるだろう。そう、ウィンタースがテイラーほどに美しく撮られたショットがたったひとつでもあっただろうか。と云っても、ここで問題なのはテイラーとウィンタースの「もともとの美しさ」ではない。演出および撮影が、ウィンタースに対してとは比べ物にならないほどにテイラーを美しく「捉えて」いるのだ。
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