[コメント] 宇宙戦艦ヤマト 復活篇(2009/日)
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「ヤマト」はアニメーションの幅を大きく広げることには成功した。だが、それは同時に「ヤマト」と言うブランドを作ってしまい、その呪縛は今に至るも健在。かなり罪作りな作品だ。だいたい、スタッフの方がその呪縛を解き放とうと、ヤマトを破壊して見せてもしぶとく復活するほどだから…もはやヤマトという存在そのものが日本のアニメーションにおける呪いか何かではないかと思えてしまう…で、それを観にいく私なんぞは完全に呪いに取り憑かれた存在なのかもしれん(そういえば、同じ呪縛として特撮界の「ゴジラ」があるが、金子修介の『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001)ではゴジラを太平洋戦争で死んだ兵士の霊だとか言っていたが、それを言うんだったら、ヤマトこそ掛け値なしに亡霊そのものだろう)。
それでも強引といえる手段で最終作とされた「宇宙戦艦ヤマト 完結篇」からもう長い時が経った(劇中に合わせて17年だ)。その間にもいくつかのヤマト復活企画はあったものの、帯に短し襷に長しといった感じで、ノスタルジーに便乗した企画ばかりだった。本編としての復活はあり得ないと思われたのだが、まさかの正統の続編としての完全復活。あきれると言うよりも、「これを観ろ」と言うオーラをまとわせての復活だった。
で、その出来だが…
うん。これは「ヤマト」だ。掛け値なしにこれは「ヤマト」の続編でしかあり得ない。というか、「ヤマト」以外でこの物語やったら、まず誰も観ない。
「ヤマト」が松本零次の手を離れ、西崎義展のものといてしまって良いが、この人が作る「ヤマト」はフォーマットが見事なほどに全部同じ。
宇宙から何者かによって地球の危機がやってきて、あらゆる手を尽くしてもそれをくい止められない。となった時に最後の希望としてヤマトが発進する。これは1作目の完全に焼き直しで、もはや「ヤマト」と言ったら、このパターン以外にはあり得ない(もちろん色々細部は異なり、時に地球ではない他の星が危機に陥ってたりもするが)。これが悪いというより、ほぼ伝統芸としてとらえるべき事だろう。すべての「ヤマト」は同じストーリーでいく。それについてくる人間が付いてくればいい。その割り切りで作られてる。もはやここまでくると伝統芸能だ。
お約束はもちろん最後の最後までちゃんときっちり詰まっており、決して削られることのない第三艦橋、上下移動する艦長席から、重力を感じる戦闘機の発進シーン、絶望的な特攻シーン。そして真田の「こんなこともあろうかと」のシーンまできっちり最初から最後まで「ヤマト」の餡が詰まった感じで、「これぞヤマト」な作りだった。いっそここまでやったら立派すぎて涙が出そうなレベルだ。ここまで「ヤマト」らしい「ヤマト」を現代で作るってこと自体に拍手送りたいくらい。
実際、上映終了後、出口から出る人の表情を眺めていると、一様ににやにやした表情してるし、きっと劇中のお約束シーンでみんなにやにやしてたんだろう。そしてそれはきっと私も同じだ。
先にも書いたが、「ヤマト」とは亡霊みたいなもの。かつて戦中派の人間があんなに辛かった戦争体験を語り合うことを楽しんだように、かつての先鋭的で、それ故に迫害されてきたオタクどもがにやにやするためにこそ、本作の意味がある。それを楽しめる人にこそ、本作は観てもらいたいものだ。
しかし、最後の最後の「第一部 完」には大笑いさせてもらった。まだ続ける気かよ。
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