[コメント] ゴールデンスランバー(2010/日)
序盤のミステリアスかつ、有無を言わさぬ青柳(堺雅人)の巻き込まれ方が素晴しく一気に期待が高まるが、主人公の身の上が「道理」ではなく「情緒」で転がり始め、おおよそこの世の出来事とは思えぬ優しさが物語をリードする。この優しさが「今」の気分なのか。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
元恋人(竹内結子)はしかたないとして、なんと指名手配中の無差別殺人犯までやたらと主人公に優しいのだ。原作は未読なのだが、おそらく見かけはダイ・ハードのようでありながら、驚異的な「柔さ」が支配するこの物語の展開は原作によるものなのだろう。
命を賭けた出口なき逃亡者を、「友情」と「信頼」が救うという希望の物語。逆説的に言うと、命を賭けてでも「友情」と「信頼」を確認したいということだ。自己責任という「道理」の号令に始まり、お祭りファッショ的経済合理性があっという間に日本を侵食したこの二十年くらいの間に、この社会からすっかり消えてしまったのは、確かにそんな「情緒」なのだろう。
そう考えるとこの物語(映画)は、いたって「今」的な要素を持った、今の時代だからこそ許される映画なのだと思えて来る。この軟弱な無邪気さを、むげに非難するのは「今」を解さぬ驕りと傲慢さの現れのような気がしてくるのだ。何故なら、我々はキルオ(濱田岳の驚異的好演)の言動に、理解不能な不気味さを感じながらも、どこかで妙な親近感を抱いたではないか。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (3 人) | [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。