[コメント] オーケストラ!(2009/仏)
映画を見終った人むけのレビューです。
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かつてのレアの演奏を想起させる演奏をジャケが行なったことで、酷すぎる出だしだった楽団の演奏が一気に引き締まる――、このシーンに僕はいっさい感動しない。演奏開始直前まで自分の都合しか考えていない楽団員たちの状態があまりにも酷すぎるので、ラストの演奏(というか、彼らが揃って演奏しているシーンはここしか無いのだが)の「成功」如何には、素晴らしい演奏だったということよりも、「ちゃんと演奏できました」という最低限度のハードル越えしか課されていない。別にあの演奏が悪かったとまで言うつもりは無いが、狂気の内に亡くなったレアと楽団員たちが、音楽的にどのような繋がりを持っていたのかがまるで描かれていないので、ジャケの演奏で皆が一体になる展開にも、単なるご都合主義ではない、具体的な音楽性からの必然としての納得感が欠如している。歯車が一つ嵌まったお陰で全体が正常に作動しましたというお話以上のものではない。楽団員らがどのような音楽を構築していたかという、音楽的な話をしてほしい。
まぁ、音楽は単なるネタでしかなく、それがメインではないのだろうことくらいは分かるのだが、それにしても音楽の処理がお座成りすぎる。外国から楽団を招聘して演奏会を開く際の金銭的な交渉が描かれている辺りは面白いのだが、要は音楽そのものよりも、その周囲の諸々に制作者側の関心はあった、ということなのだろう。
完全に独断的な「俺基準」にすぎないのだが、『アマデウス』や『4分間のピアニスト』といった愛すべき音楽映画では、「人間が音楽を奏でる」という人間主体の物語と、「音楽が人間の人生を左右しどこかへ運んでいく」という音楽主体の物語とが拮抗し合い、その弁証法的な関係が、最終的には音楽的崇高という一点へと昇華され、またそのことで、人間主体の物語の方も、その崇高に与ることになる。たかが人間如きの人生レベルで語られる喜怒哀楽などより、既存の善悪美醜の価値基準を足蹴にし踏みつけて達せられる音楽的感動の極致こそが至上命題。「人間ドラマ」とやらの小道具に収まっている音楽に魅力など感じられない。
フィリポフの台詞、「音楽家は一つの楽器と才能とを持ち寄って、魔法の音と調和を実現する為に、演奏の間だけ一体になれる。これこそ真のコミュニズムだ」は非常にいい台詞で、本当にこの台詞が活きるような物語を描いていれば素晴らしかったのだが、楽団員集めのシーンにも大して時間を割かず、ドタバタ劇や、レアとフィリポフの思わせぶりなドラマに時間を使ってしまっているのがバカらしい。あの大勢の楽団員それぞれの個性を描くことなどもとより求めてはいないが、その内の何人かを、他の楽団員らとの絡みも織り交ぜながら描くことで、楽団員の皆それぞれに、かけがえの無い人生と個性と才能と、音楽に寄せる思いがあるのだと感じさせる演出は可能なはず。だが実際は、普段は完全にバラバラなくせに、ジャケの演奏一つで急に、磁石を近づけられた砂鉄のように簡単に一体化するご都合主義な集団でしかない。バラバラ状態と一体化の落差で感動させようという意図が極端かつ作為的にすぎる。
演奏が始まってさえも殆どやる気皆無な楽団員らは、レアの演奏を思わせるジャケのバイオリンを耳にして初めて本気モードに入るのだが、ジャケがレアの代わりとしての役目を果たさなかった場合には、思い思いにパリを愉しんで携帯にも出なかった楽団員ら、リハーサルにさえ出てこなかった彼らは、ジャケがジャケとして彼女自身の演奏で参加したままであれば、醜態を晒したままで終わったのだろうか。リハに現れたジャケの戸惑い等を見ていても、楽団員らから無視されきった彼女が気の毒すぎる。
尤も、その「レアを思わせる演奏」という点にしても、ジャケがそれを行なったという確証も大して無い。ジャケに、レアの注釈付きの楽譜が渡されたこと、レアが両親のことを知りたがっていたこと、楽団員らが「レアの為に集まれ」というメールで集結したこと、といった状況証拠くらいしか無い。「かつて演奏中に中断された演奏」を貫徹するという一点に向かう物語は、レアという一人が欠けていても、「演奏の間だけ実現する真のコミュニズム」が成立しないという、音楽性と同志愛とを同時に描くことを志向しているのだが、楽団員らにあまりにも演奏家としてのプライドなり自覚なりが無く、亡者のように金を奪いとった後は野となれ山となれという態度なので、ボリショイという看板を掲げてはいるものの、実質的にはそこらの仲良し楽団と変わらぬ低レベルなところでドラマを成立させようとしている。演奏家としてのプライドや自覚など共産党政権に奪われたのだと言い訳されたところで、現に金を貰ってパリの演奏会に招かれているにも拘らず、演奏できることの喜びなど微塵も感じられない彼らにそんな言い訳をする資格があるとも思えない。
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