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[コメント] 運命のボタン(2009/米)

「単純なことだ、ボタンを押さなければいい。」 異様なほど持ってまわった語り口の映画。(2011.8.15)
HW

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







***以下、本編のほか、映画版/小説版『2001年宇宙の旅』についての若干のネタバレを含むので、そちらを未見・未読の方はご注意。***

 "Simply don't press the button."

 「押してはいけないボタン」(それは人類を絶滅へと導く)と言われてすぐに連想されるのは、核攻撃だろう。偶然といえば偶然だが、妻ノーマ(キャメロン・ディアス)は、幼い頃に、医療用の「放射線」を誤って長時間浴びさせられた結果、細胞組織の破壊されてしまった片足の四本の指を切断している(この挿話そのものは、どこかで読んだところによると、監督の母親の実体験を基にしているらしいが)。

 ボタン一つで世界が滅びてしまう、というイメージは、『博士の異常な愛情』以来、繰り返し笑いのタネ(!)になってきた。実際、どこかで誰かに押されるかもしれない「運命のボタン」の想像は、悲劇的というより漫画的だ。『クリムゾン・タイド』も私はよくできたコメディだと思う。ボタンのイメージ(よりリアルにはキー作動式だったりするけど)が漫画的な不条理を呼び込むのは、そのイメージにおいては、あまりにも重大な決断が、たった一度切りの、たった一人の人間の手に委ねられるものとして考えられているからである(トルーマン大統領の「聖断」?)。ここには思考の罠があるのであって、ひとたび「押さない」という決断をなにか勇敢で意義深いものととらえ始めてしまえば、「押す」という行為もやはり同様に勇気を伴う決断だと暗に認める余地を残してしまう。だから、押すべきか押さないべきか、などという想定自体を思い切り笑ってしまう以外に、「苦渋の決断」という図々しい論理からの出口はないのだ。

 ところで、この映画のボタンは、こういう馴染み深い「運命のボタン」とはだいぶ違う。ここでは、まず一方で、ボタンの最終的な帰結(人類の絶滅)はあくまで累積的に計られるものとされ、しかもどの程度累積されれば問題の結論が下されるのかさえ不確定なものとされている(「私の雇い主たちは、奇妙なユーモアのセンスを持っている」)。そして他方、選択を迫られる当人たちには意図的に矮小化された情報(世界のどこかで誰かが死ぬ代わりに、お金が手に入る)のみが与えられている。しかし、その矮小化された情報とて、夫婦にとっては実際のところ判断のしようのないようなものだ(「世界のどこかであなたの知らない誰かが死ぬ」? そんなのは、毎日起きてることじゃないか!)。夫婦は、選択に苦悩するというより、選択を迫られることに苦しむのであって、妻ノーマは、「押す」(=決定済みにする)ことで選択それ自体から解放されようとする。だから、この映画もまた、押すべきか押さないべきか、という決断の物語ではない。

 箱を届ける謎の人物・スチュアート(フランク・ランジェラ)は計画の拠点である地下施設で、正確には何と呼ばれるのか、パタパタと表示が切り替わるパネルのようなものを見下ろしている。そこに表示されているのは、色分けされた世界地図で、その色分けされた各地域に付せられている名称に共通する"US...COM"(=United States...Command)という形式が地政学を匂わせるが、検索にかけてみたところ簡単に出てきた、これは米軍の地域管轄地図である(*)。なぜこんなものがスチュアートのデスクに置かれているのか?

 直接に姿を現わさずに人類を高みから見下ろす地球外の知性体(我々の考える意味での「生命体」なのかは不明)の存在は、明らかに『2001年宇宙の旅』を想起させる。が、この引用には、微妙な、しかし、決定的なズレが生じているように思う。このズレは、小説版を念頭に置くとよりはっきりとするものだ。アーサー・C・クラークの小説版においては、英米ソといった技術先進国が一時の些細な誤解(?)を乗り越えて冷戦期に開発した技術で宇宙開発に乗り出している、というのが物語の基本設定をなしていた。この設定が含意しているのは、戦争より刺激的な技術利用がある、というこの事実に相変わらず気づいていない国々が多いのは困ったものだ、ということである(そう書いてある)。クラークのヴィジョンにおいては、「技術」それ自体は本来的に正しいものであり、さらには、その「技術文明」を導く白人と、「進歩」を人類に強制するモノリスとのあいだの、半ば無意識的な二重写しが存在していたのである(クラークのなかにある帝国主義的発想という指摘は、巽孝之氏の著書『「2001年宇宙の旅」講義』、を参照。なお、ここでの本題ではないので詳述はしないが、クラークが比較的無邪気に「進歩の階梯」を見ているサルからヒトへの第一歩=「技術」の獲得が、スタンリー・キューブリック版ではむしろおぞましさを伴うものとしてとらえられていることは言うまでもない)。

 思い出されるのが、車のなかで夫アーサー(ジェームズ・マーズデン)が逃走中の前の被験者から手渡される「人的資源開発マニュアル(Human Resource Exploitation Manual)」という奇妙な内部資料。カムフラージュにしても、宇宙人が人類に課すプログラムの名前が「開発=搾取(exploitation)」というのは、ブラック・ジョークのようなところがある。スチュアートの言い分では、もっぱら道義的見地からのいわば「文明的な」介入らしいのだが。つまり、この映画では、世界を見下ろす(command)位置に立つアメリカと、地球を見下ろす位置に立つ地球外の存在とが、どちらかといえばクラーク(はイギリス人ではあるが)の想定していないニュアンスで二重写しにされているように思えるのだ。そのことを象徴するかのように、『2001年』においてモノリスがボーマンの意識と記憶とを抵抗なく完全に自らのなかへと取り込んでしまうのに対して、この映画の知性体は人間の脳に不完全にしか侵入できずに、頻繁に出血(鼻血)を引き起こしてしまう。

 アーサーは妻ノーマを自らの腕のなかで殺す。互いの目を見つめ合いながら殺すのである。この半ば強制された行為を通じて、しかし、彼ら夫婦は、姿を見せずに遠くから操作し判決を下そうとする(=ボタンを押そうとする?)知性体に対して、道徳的な優位を示した、と言ったら大げさだろうか?(いや、これは大げさなんですけど) 図書館で再びスチュアートと対面したノーマは、彼に向かって彼のえぐれた顔を最初に見たとき、「愛」を感じた、と語る。この一見唐突な会話に、あるいは偽善を嗅ぎ取る人もいるかもしれない(ノーマの? 映画の?)。それにしても、これまでリチャード・ケリーの監督作品には、必ずのように、顔に大きな傷を負った人物が登場している。目の前でこちらを見つめてくる、あるいは見返してくる相手の顔に刻まれた傷は、自分が相手を見てしまっていることに戸惑いを抱かせるとともに、自分が相手に見られているそのことをまた強く意識させる。世界のどこかで死ぬ「あなたの知らない誰か」のためにボタンを押すことを思い止まれなかったノーマは、しかし、目の前に立つスチュアートの顔には避けがたく「苦しみ」を感じ取ってしまう(ずっと「見られる」側であった彼女が思いがけず「見る」側に回ってしまったのを自分で感じたからだ)。スチュアートは、最後の選択を与える前に、夫婦に向かって「あなたがたは希望を与えてくれた」と語る。「希望」があるとすれば、ここにあるだろう。

 物語の舞台は1976年、バイキング計画による火星探査の年に設定されている(アーサーは、この探査に使用されたカメラ=「見る」装置の設計に携わっていた)。この映画の基本筋は、宇宙の彼方に他の生命体の姿を見ようとした人類が、すでに向こうから見られていた、という皮肉にあるわけだ。この皮肉は、しかし、宇宙人とのあいだにだけ成立するわけではないだろう。宇宙開発を通じて地球外生命体を見ようとするアメリカは、もちろん、軍事力を通じて世界を監視しようとするアメリカである(スチュアートのデスクの上には、先ほど触れた地域管轄地図と共に、バイキング号による火星の表面画像らしきものを映したモニターが並べられている)。「見る」つもりの者が「見られ」ていた。この事実は、箱のリセットが「あなたの知らないどこかの誰か」の意味を反転させてしまったように、事態が全く転倒して思い描かれていたことを教える。つまり、本当の問題は、我々が彼らをどう判断するか、ではなく、彼らが我々をどう判断するか、だったのだ。この「彼ら」が宇宙人である必要はないだろう。ロケットを打ち上げるアメリカは、ミサイル網を張りめぐらすことで、地球においてもすでに「彼ら」を「見る」国としてあったのだから。冷戦期という時代設定を取りながら、この映画は明らかに「9.11」以降の映画である。だから、この映画のボタンは、大統領や軍人の密室の決断に委ねられるものではなく、平穏な閉じた生活のもとへ唐突にやって来る。もちろん、この決断すべきとして提示される選択肢自体が不当なものなのだ。

 ということで、『運命のボタン』という邦題は少しばかり大げさだ。

(*)参考までに。http://en.wikipedia.org/wiki/File:Unified_Combatant_Commands_map.png

(評価:★4)

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