[コメント] ヒーローショー(2010/日)
井筒作品にみる、無軌道と無気力の違い
無軌道とは、抑えがたいエネルギーがその行方もしれぬままに四方八方乱れ飛ぶ様だとすれば、無気力とは、発散すべきエネルギーがない状態で空回りを続けることを指すのだと思う。
無軌道な“当時”の若者たちを描いた『岸和田少年愚連隊』『パッチギ』も、無気力な“現代”の若者を描いた本作も、今年28歳を迎える自分としては、同じくらい近くて遠い距離を感じる群像劇である。しかしながら、そこに宿された青春の発熱は息苦しいくらいのリアリティをもっていて、結局グイグイと作品の中に引っ張り込まれてしまった。
本作に登場する若者たちは皆、“暴力”や“怠惰”という権利は骨の髄まで貪るくせに、その結果訪れた“死”という責任については、「どうすんだよー」「お前も考えろよ!」という責任のなすりつけ合いばかり。誰も責任をとろうとしないから、その責任が転嫁されるたびに雪だるま式に膨れ上がっていく様は、現実世界の様々な諸相を反映しているようで、身につまされたりもする。
前半1時間の疾走感・バイオレンスの弾けっぷりは半端じゃなく面白い。取り返しのつかない結末に向かう雰囲気が嫌な期待感を十分に煽る。中盤以降のジャルジャルの友情物語やちすん親子の小旅行のくだりはストーリーを間延びさせているとの批判を多く見受けるが、若者特有のモラトリアム感を表現しているということで許してはもらえないだろうか。
だって、ジャルジャルの二人は作中で本当のバディに見えたし、バラバラになった二人の人生がまたいつかどこかで邂逅するようなことがあれば、僕は是非見てみたいと思うから。
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