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[コメント] あの夏の子供たち(2009/仏)

観ているこちらも「この時間がずっと続いてほしい」と思える幸福感に充ちた家族の光景。末娘と次女が父と一緒になって発散する溌剌としたエネルギー。父の映画製作と同じく、本作自体も多忙で活発なリズムを刻む。時間を追い、時間に追われて進む人生。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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幸せ溢れる前半は、まだ天真爛漫な末娘ビリー(マネル・ドリス)と次女ヴァランティーヌ(アリス・ゴーティエ)の明るいエネルギーが家庭内を輝かせているが、そんな中、田舎に連れて来られるのを嫌っている長女クレマンス(アリス・ド・ランクザン)は、母・シルヴィア(キアラ・カセッリ)が三度呼んでも来ず、呼びに来た父・グレゴワール(ルイ・ドー・ド・ランクザン)に「本を読んでたの」と、参加を拒むような様子さえ見せる存在として登場する。だが、妹たち二人の演じてみせる「ニュース番組」には喝采を送り、決して家族を嫌っているわけではないことも分かる。前半が、妹二人のあどけない溌剌さと、幾つもの仕事を並行して精力的にこなす父という、活動的な雰囲気が主であるのに対し、忙殺されながらも家族を大事にしていた父の仕事がその実、諸事情がもつれて制御不能な破綻に突っ込んでしまっているのが明らかになり、遂にその死を迎えてからの後半では、クレマンスの自立と母の奮闘へと物語の軸を移す。

特に、クレマンスに全てが集束しているのは、彼女の表情を捉えた長めのカットが増えることでも明らかだ。亡父が過去に母に送った手紙を読むシーンや、ボーイフレンドの許から朝帰りするシーンでの、カフェでホットココアを待つ間に見せる、自らの成長に満足げな表情、そしてラストの、タクシーの窓から外を見つめながら涙するカット。次々にカットを割っていく快速編集の本作の中で、要所要所でのクレマンスのバストショットの長さは特権的だ。

クレマンスに知らされていなかった、兄の存在。自ら居場所を探して訪ねていくシーンでは、快く迎え入れられながらも、会うのはまだ早いと告げられる。映画は、この「未来」を残したままエンドロールを迎える。父が残した仕事は結局全てがご破算になってしまうのだが、この結末は「断絶」よりもむしろ、過去=可能性という領野を開示しているようにも感じられた。グレゴワールが同僚の女性に紹介したという、ベンヤミンの著書の一節は、『ベルリン・天使の詩』に絡めて言及されることも多い、クレーの「新しい天使」についての文章。そこで言われているのは、積み上げられた過去を修復しようとしながらも、未来へと押し流されてしまう天使の話なのだ。

本作の躍動感は、とどまることを知らないかのような時間の流れによるのだが、事態が修復不可能になってしまうのもまた、時間の流れによるもの。ラストのタクシーの中でクレマンスが「お墓に行くんじゃなかったの?」と訪ねると母は、もうその暇は無いと告げる。だがまた、エンドロールの画面に横溢する車の群れは、人生は絶えず流れ、継続していくという生気に充ちてもいる。厳しさと優しさ、虚しさと活力は、本作では同じコインの表と裏なのだ。

グレゴワールの製作会社の作品が上映されているシーンがあるが、これがいかにも客が入らなさそうな作風で、苦笑させられる。実際、あのての作品を観に行っても、客席の半分埋まっていればいい方で、片手の指で数えられるほどであるのもザラなのだ。終始、金の工面に苦労し続けている映画制作の様子は切実で、狭い事務所を人が出入りし電話と書類と交渉で慌ただしい光景は、活気と悲惨とが交錯する。映画制作を題材にした映画にしては、撮影現場が殆ど登場しない。だが、過去の作品名や、制作予定の作品名が挙がるたびに、それが内実を伴った固有名詞として聞こえるところに、作品世界の構築を見ることができる。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)サイモン64[*] 3819695[*]

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