[コメント] ゾンビランド(2009/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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「遊ぶ」ということで言えば、雑貨屋を一同で破壊するスローモーションと劇伴の「フィガロの結婚」が非常に良かった。これに限らず、破壊の甘美と惨を笑いに変換する姿勢を、陰惨な影なく提示してくれるのは新鮮。破壊が再生と直結しており、だから暗くならない。
ささいなことを楽しめ、という人生訓もいい。無意味なおしゃべりとはやはり幸福の確かな形だ。真夜中のドライブシーンのおしゃべりの無意味さが素晴らしい。こういうのを意味ある無意味と言うのだと思う。
詐欺姉妹に二度出し抜かれ、苦い顔のハレルソンを尻目にニコニコ顔のアイゼンバーグが突如、この子が好きになった、お高くとまってない、とぬかすシーンも実に可愛らしい。
遊園地での戦闘に一瞬死の影がさしこまれる。どうするつもりかとハラハラしたが、ここでサバイブするのがこの映画の良さだろう。ここで全滅させるか、一人二人感染させて「その時は私を撃って」みたいな話にしても別にいいと思うけど、それはここで求めるべきではないだろう。これは「つづく」物語である。故郷を今ここに見出し、絶望をすでに乗り越えた彼ら(わけてもタラハシーハレルソン)に、死ぬ気などさらさらないのだ。自死などという選択肢は用意されていない。
しかし、明らかに弾が足りてなさそうなハレルソンの二丁拳銃の立ち回りには目をつぶるとしても、遊園地らしい音の世界をロックで塞いだのはちょっと残念。「終末に遊ぶ」という画面をあくまで明るく突き詰めてほしかった。
タラハシーが固執するお菓子「トゥウィンキー」のネタの出所が『ゴーストバスターズ』であり、「この味わいで世界は無垢へ帰るのだ」という一節があることと絡めて考えると、『ゴーストバスターズ』に限らず、「無垢」「元気さ」について、昨今懐疑的であるからこその「郷愁」であることをひしひしと感じる。今は「元気な映画」の苦難の時代なのだろう。あの映画への評価はともかくとしても(あれは決定的にテンポが悪い)、その「郷愁」はわかる。『ダークナイト』みたいな破壊的に真摯なネガティヴ映画のほうが圧倒的に面白いんだもんな。
ハレルソンは相変わらずすばらしい。変な表現だが、この人の「重みのある軽さ」がとても好き。最も惚れたのは『今宵フィッツジェラルド劇場で』。ジョン・C・ライリーとのアンサンブルは圧倒的だった。余談で恐縮です。
ところで、ジョン・ベルーシが存命で『ゴースト・バスターズ』の主演を張ってたら、やっぱりマーレイじゃなくてベルーシだったんですかね。
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