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[コメント] リトル・ランボーズ(2007/英=仏)

各作中人物の顔面選択がぴったり嵌っていない。ゆえに表情はどうしても説明的な様相を帯びざるをえず、映画のエモーションに曇りが与えられてしまう。云い換えれば、キャラクタが演出家の駒に留まって、好き勝手に生きていない。子供らの頑張りは肯定したいが、子役の人材に関してはこれが英国の限界か。
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露骨なピント送りの濫用も癇に障る。一般論として云えば、それは演出家が被写体を信じていないときにのみ使用可能な技法だからだ(というのは少々筆が滑りすぎかもしれませんが、このような露骨なピント送りの使用に対して私が感心まで覚えた作品は、ここ数年では『父、帰る』だけです)。演出家の人格は必ず画面に顕れる。悪質な映画であると云い切ってしまうのはさすがに躊躇われるとしても、この映画の善良さは装われたものにすぎない。

「キミとボク」だけの友情という少年に特有のイノセントな世界を哀しく美しく微笑ましく描くことに異議はない。しかしながら「映画制作」を題材にそれを行おうというのが、そもそも大いに見定めを誤っていないだろうか。映画(少なくとも実写の劇映画)制作とは集団作業そのものではなかったのか。むろんここにおいてもそれは全否定されてはいないが、明らかに集団作業よりも「キミとボク」の世界を尊いものとして上位に置いている。また劇中劇『ランボーの息子』の画面にはビル・ミルナーウィル・ポールターがふたりともフレームに収まっている箇所が少なからずある。子供に演じることはできない危険なスタントもある。要するに「誰が」「どのように」撮ったのかは等閑に付されている。あるいは終盤での軸足の移し方を見れば、むしろ「兄弟の物語」が主眼であったのかという印象も受けるが、いずれにせよ『リトル・ランボーズ』にとって「映画」とはその程度の畏れを欠いた扱いで事足りるギミックに過ぎないということだろう。『僕らのミライへ逆回転』のほうが不出来だが、「映画」に対してはよほど誠実な愛すべき作品だ。

(評価:★3)

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