[コメント] トゥルー・グリット(2010/米)
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2011年3月18日@新宿武蔵野館(シアター1)
兎角、メディアでコーエン兄弟の作風変化が指摘されているように見受ける本作『トゥルー・グリット』であるが、監督たち自身も語るように実際のところは「何年も前から温めていた企画」なだけあって、実に“コーエン兄弟らしい”作品に仕上がっている、と思う。
“コーエン兄弟らしい”とはつまり、「渇いたユーモア」である。活劇を描いても乱れない一定のテンポ感、訥々とした語り口、役者のオーバーアクトを抑えた無感情な演技。『ファーゴ』『オーブラザー』『バーバー』『ノーカントリー』など。高値安定のクオリティでコンスタントに作品を生み出せる稀有なクリエイターではあるが、特別個人的な嗜好に沿った作風ではないので、近作をいくつかチェックしている程度の知識ではあるが、一貫した作家性をそこに見ている。
たとえば。西部劇というものの、本作はガンアクションシーンが極めて少ない。マット・デイモンが襲撃される小屋でのシーン、ジェフ・ブリッジスの二丁拳銃が拝める荒野のシーン、具体的に挙げればこの2か所ということになるだろうが、どちらも視点が「渇いている」のだ。いずれシーンも俯瞰ショットが多用されている。飛び散る汗も、怒号もない。クロースショットは時折申し訳程度に挿入されるのみ。“血”“死”といった暗く、湿った印象を与える要素は極力排除され、広がる荒野と男たちのアクションが遠景で「ぽつん」と描かれる。うん、実に渇いている。
しかし、同時にユーモラスでもある。ジェフ・ブリッジスとマット・デイモンが射撃の腕前についてじゃれ合うシーン。標的を外した二人の言い訳が「あれ、なんか銃の調子がおかしいな」の体たらく。まったく笑わそうとしない真剣なボンクラぶりに、くすくすと反動的な笑いが生まれる。
また余談ではあるが、『プライベート・ライアン』で優秀なスナイパーを演じたバリー・ペッパーを、本作ではライアン二等兵であるはずのマット・デイモンに狙撃させている。救ってもらった恩もどこそこへ。見事な腕前だ。こんな穿った見方は必要ないが、メタ視点でとらえれば、非常にユーモアのあるシーンである。
馬で河越えを強行するヘイリー・スタインフェルドや、二丁拳銃のジェフ・ブリッジスなど、ところどころにウェットなロマン活劇の様相を呈するが、砂漠にオアシスといった程度。「渇いたユーモア」でもって最後の瞬間まで観客の心を撃ち抜かんとする。
予告をみて、『3時10分、決断のとき』のような熱い作品を期待していたので観賞直後は肩透かし感があったが、時間をおけばおくほど、くすくすと渇いた笑いがこみ上げ、胸の鼓動が高鳴る。
傑作だ。
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