[コメント] 監督失格(2011/日)
由美香の母は、自らの生き方が招いた娘の生い立ちの不備を償うために、女の幸福の帰結として由美香の結婚をひたすら願いながら、いささか不器用に愛情を提示し続ける。一方、男との関係が数ヶ月しか続かない由美香の「愛情の非持続性」は、おそらく自らが自身に向ける愛情のムラっ気の裏返しなのだろう。そして、精神的にも肉体的にも行き詰まり混乱した由美香は、母の無条件の愛情(類型的に見えるが、おそらく限りなく純粋なのだろう)に甘えすがることで、存在のバランスを維持し続ける。なんとも、極端かつ微妙で危うい相互依存。
そんな由美香を愛してしまった平野だが、その北海道への自転車旅行記の撮影時のやりとりには、男と女の関係に「撮る者」と「撮られる者」の関係が不器用に割り込んでしまっている。ちょうど、それは由美香の母がみせる娘との距離感の不器用さに似ている。おそらく撮影期間中、由美香の愛は確実に平野に注がれていたのだろう。一方、平野は愛する対象との間に、カメラという「理屈」をはさんでいる。由美香と平野の間で主観と客観の境界をさまようカメラ。平野が「監督失格」の烙印を「愛する女」から捺された所以である。
しかし、この主観と客観の彷徨、すなわち監督と女優という関係を引きづり続けたことこそ、男との関係が数ヶ月しか持たない由美香と平野が、1年以上恋人関係を続けられた理由だろう。そして、この関係が一方的に由美香から断たれた瞬間、相互依存のバランスは一気に崩れ、「監督でいようとした男」はだたの「男」になったのだ。撮ることが生きることと同意の個人映画作家にとって、「監督でいること」を放棄することは自らの存在を否定することでもある。この矛盾は愛情を汚泥化し、平野なかに沈殿し続けたのだ。愛を泥として溜め込み、慟哭とともに一気に吐き出す鎮魂と再起の激情に目がくらむ。そして、この監督失格者が作った恋愛映画の純度に圧倒される。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (4 人) | [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。