[コメント] タンタンの冒険 ユニコーン号の秘密(2011/米)
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たとえば冒頭の市場のシーンの群集の動き。複数の鏡に映るタンタンというビジュアル、スリの爺さんの次々財布を抜く場面の多彩なアングルとその並べ順、新聞に空いた穴からのぞく目玉の動きとそれへのズーミングなどなど。動き自体がすでに快感を覚える。こんなにうまい例をスピルバーグ以外の映画ではあまり感じないのは気のせいか?
タンタンとサッカリンが会話しているのを斜め上から映しているところで、画面が微妙に上下に揺れている。カメラ撮影をキャプチャーしているだけかも知れないがCGだからわざわざそういうふうにしているわけだ。スピルバーグの映画にはよくあることなのだが、あれが手ぶれなら、ふつう見ていて気になるのにそうは思わないところが不思議だ。動いていたカメラがとまるところでも、いわゆるピタっとした感じではなく少しはずむような独特の動きがある。黒澤明なら「カメラに芝居をさせるな」といってすごく嫌うはずのように、ここではカメラが動きまくっているのに全然「カメラ」は感じない。カメラの芝居が映像の中の動きと同様にいっしょにリズムを奏でているからなのだろう。
本来CGにはないパンやチルトやアップやフォーカスシフトなどのカメラの動きというものは、映画がカメラで写されなくなっても人類が慣れ親しんだ映画というフォーマットである限りいまだ有効であることが改めて実感できる。この作品で徹底的に再現されているスピルバーグのカメラワークにはその最良の法則があると思う。CGに移し変えられていることで誇張が生じているせいか、いつもの監督作品よりもそのカメラワークがよくわかる。スピルバーグの流麗なカメラワークを勉強するのには本作は最適な教材かも知れない。
むろんアクションの表現はカメラワークばかりではなく、カメラの操作では不可能なアクションのアイデアも途方もなくあふれている。国王の宮殿から脱出するシーンでの、サイドカー、追うサッカリンの車、ワシ、ダムからの放水、これらのこれでもかこれでもかというおいかけっこの画の想像力の凄いこと。監督が『1941』で考えていたことはこれだったのかって気もする。スられた財布をとりかえそうと飛び出した交差点でタンタンが次から次に轢かれそうになる車をかわすシーンの超絶カメラワークを、「カメラ撮影では不可能なことをCGで再現しているのだ」としたり顔で言うことはできるが、だとしたら偶然のショットに頼らないであのアングルをコンテで描けるスピルバーグはやはり最高のカメラの使い手だと思わざるを得ない。
『ジョーズ』を小学生の時観て以来、この老人監督のアクションのイマジネーションにいまだに追いつけない自分がいる。もう自分50近いっていうのに・・・(それは余計)
老人といえば今回もいい仕事をしている音楽はやっぱりジョン・ウィリアムズだったけど、ジョーズのころに「若手新進監督とベテラン音楽家」みたいな組み合わせという印象だったこの2人…その新進監督のほうがもうベテランの老人なんだが・・・この人って今いくつなの?
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