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[コメント] 愛と希望の街(1959/日)

オーシマは常にマイナーな人々に寄り添ったが、松竹的な弱者に寄り添ったのではなかった。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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オーシマが木下組の楠田浩之と組んだ唯一の作品。望月優子のおっ母さんという類似からも『日本の悲劇』や『夕やけ雲』が想起させられる(山本薩夫の『荷車の歌』も)。基本、画も脚本もこの松竹タッチを踏襲している(背景のガスタンクは一時的に左翼だった戦前の小津の引用だろう)。喧嘩のあと道端に泥だらけで寝転ぶ藤川弘志富永ユキの爽やかさなど、いかにも木下好み。

それが終演10分前にガラリと変わる。藤川が鉈で鳩の籠を砕く即物的なカットはブレッソンだ。松竹ヌーヴェルヴァーグ誕生の瞬間だろう。ベランダで鳩を打つシーンも凄い。「ブルジョア」の激情を捉えた件も均等に配分することで、本作は見通しのいい作品になっている。もちろん、住宅地で拳銃ぶっぱなすのも詐欺同様に違法行為である。

「ふたりの間には越えられない溝がある」という千之赫子の先生の渡辺民雄への別れの言葉はもう階級闘争宣言、望月優子的な社民路線(望月は社会党代議士になった)からの離脱宣言、引いては木下的な松竹50年代ヒューマニズムからの離別宣言だろう。やはり生徒に寄り添うのだという千之の決断は美しく、なぜ新左翼運動に大勢が賛同したのか、今ではよく判らなくなった当時の人々の気持ちをよく記録していると思われる。

ここから始めて動物愛やLGBTに至るオーシマのフィルモグラフィーは、どれも社会におけるマイナーな存在に寄り添い続けた。しかし、このマイナーはイコール(松竹的な)弱者ではなかった。本作は藤川とともにそう宣言しているかのようだ。短尺を有効に使って全くダレない演出も編集も、鳩の象徴する処の多義的な捉え方も凄い。妹役の伊藤道子が『少年』の阿部哲夫に似ているのも(監督好みの顔立ちということもあるだろうが)傑作にしかない偶然という気がする。

(評価:★5)

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