[コメント] そして父になる(2013/日)
オフスクリーンから物音や台詞が聴こえ、そこに視点を移していく。或いは川面や木々の揺れ、ラストショットで翻る洗濯物。もしくは電車に乗る尾野真千子を覆う暗闇の深さ。見事に映画の画面として仕上がっている。が、しかし是枝裕和は今までどおり厭らしい。各エピソードの取捨選択、どこまで見せてどこで次の場面に繋げるか。そこに意図的な手つきが垣間見え、どうにも好みでない。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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要するに本作は、子供の取り違え(主眼ではない)を契機に福山雅治が「父」になるまでを描いているわけですよね?
画面上でも家族の輪に入れず、距離を置いてぽつんと佇む福山の姿は何度か示されているわけだが、できそこないの「父」としての行動をきちっと見せるべきでないのか。
無論玩具を直したり、ネットで調べ物をしたり、回転遊具で遊んだり、一緒に連弾する姿は収められている。しかし、親の役割はそれだけではないはずだ。本作には子供を「叱る」姿が出てこない。怒鳴るのは福山の未成熟さの表れであって叱るとはいえない。果たしてこれでいいのか。
鏡に悪戯されたなら、その後どういう行動をとったのか。もしくは、琉晴が一度相手側の家に戻ったあとの車内での会話。仮にも親父ならもう少し向き合わんかい、と。この辺は「向き合う」クライマックスに向けてわざとやってるのかもしれんが、それはそれで制作側の作為がちらつき、やはり乗り難い。
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