[コメント] クロニクル(2012/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
アンドリューを見ていて辛すぎました。これは胸が潰れる。 自分の身を案じて危険を冒してまで来てくれる友達がいても拒絶してしまう。それは真にまごうかたなき自分の友達なのに、受け入れることができない。「放っておいてほしい」とおもう気持ちの強さ、抗えなさ、根の深さ。そのただの「気持ち」が自分と人をずたずたに切り裂き、増幅され現実に行使できる力によって実際に血が流れる。
人の好意を素直に受け取ることができる人、信じることができる人はそれだけで強いんです。誰かの愛情を受け取る器が何らかの原因によってはじめから失われている人がいる。愛なんて何も救えないってそういうことですよ。
下敷きになっているとおもわれる『童夢』の超能力対決と大きく異なっている点は戦う二人の関係性です。 『童夢』のチョウさんとエッちゃんは同じ団地の住人というだけでほぼ面識がありませんが、アンドリューとマットは従兄弟同士で、対決に至るまでに仲睦まじく普通の友人同士としてじゃれ合うシークエンスがしっかり描かれてるんです。化物になってしまった友達であり一生切れない血縁者であるアンドリューに抗戦しなくてはならないマットの葛藤、救いたいのに救うことができない絶望が身を揺さぶる。そして化物になってもアンドリューは血を流す普通の男の子であり、生身の少年同士の肉のぶつかり合いであることに変わりはない。
何かの作用によって身近な人間が悪魔に変貌することはあり得る。その悪魔は自死を遂げるか殺されるしかないとしたら。その役割を負うのはおそらく彼に何らかの愛情を注いでいる近しい人間になるだろう。
どれほど憎しみと暴力を向けられてもそれは表面的なものであることを知っている近い人間だからこそ、最も苛烈な被害を受けることは多い。人と人が近い関係を結ぶことの恐ろしさはそこにある。自分の愛では相手を救えない。それを分かっていてもやらなければいけないことがある。
荒ぶるアンドリューをずっと半泣きで見守っていましたが、最後のシーンのマットのこの台詞で涙腺崩壊しました。
"You're not a bad person. ...And... I just-- I love you, man. I didn't ever get a chance to tell you, but I love you. And guess what. You made it. Whoo-hoo! Isn't it beautiful? Good-bye, Andrew."<br><br>
「お前は悪い人間じゃないよ。俺はただ…ただお前が好きだよ。伝えられることはなかったけど、でも俺はお前が好きだ。なあ考えてみろよ、お前がそうさせたんだぜ。Whoo! これって"beautiful"なんじゃね? じゃあな、アンドリュー」
そうだから!!!!!!好きな人には!!!!!!好きって言わなきゃいけないんだよ。びびってちゃダメなんだよ。。。本当にそれ大事だから。明日誰かがいなくなるって普通にあることだから。
あ〜〜〜〜もうやだ(TДT) この台詞はぁ絶対に忘れない。 というわけで『クロニクル』、気持ちぐっちゃぐちゃにさせられました。うーんもっかい観に行きたい。
ここ最近ずっとおもってることだけど、映画館で泣くのだってやっぱりガマンしながらじゃなきゃいけない。大人には泣く場所がない。
前日に『童夢』を読んで準備万端で臨みましたが、二次元の漫画が翌日三次元で目の前で再現されるというのはすごいものでした。映像は本当に物凄い迫力なので、また映画館で観たい。
やっぱねぇ超能力と言えば鼻血です。力を使い過ぎると(おそらく脳に負担がかかって)鼻血が出るんです。これは『AKIRA』もそうでしたね。アンドリューが行きたがっていたのはチベットの山奥でチベット仏教の高僧に興味を持っていましたが、力を使う『AKIRA』のミヤコ教の僧達に通じるイメージがあるかもしれないなあ。
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