コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 県警対組織暴力(1975/日)

ここで笠原が傑作をものせば世の中転覆していたかも知れないが、そうはならず暴対法へ至る。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







序盤は仁義なきシリーズのパロディのようで、シリーズでは抗争事件の周辺にいることが多かった菅原文太が刑事として登場するのは可笑しみがあり、出世祝いのような川谷拓三の怪演は凄まじい。その後も田中邦衛のワンポイントリリーフ、階段を転がり落ちる生首、「こんにちは赤ちゃん」、最後まで背負い投げにこだわる梅宮辰夫と、ブラックジョークがどれも決まっておりそれは素晴らしい。

ところが室田日出夫山城新伍の再会と続くパーティの辺りから別の事情が呑み込めてくる。冗談めかした空気は警察とヤクザの癒着、馴れ合いの関係から生じているのだと判ってくる。梅宮辰夫という異物が登場しなければ、パロディのまま映画は終わっていただろう(しかし映画は梅宮に朝の体操をさせて、作品全体をパロディで一貫させてもいる)。

笠原和夫はなぜ任侠・ヤクザ映画を書くのか、作品のなかでしばしばこの問いに向き合っているが、本作はこの姿勢が明快になり、決定版を叩きつけてやろうとの意気込みが伝わってくる。「極道張るにはこっちも極道の分際まで落ちにゃならん云うんが二課担当の心得で」「極道扱うには要領云うもんがあるんですよ」これらは言訳の部類で無視してよい。重要なのは次のふたつだろう。

籠城中の松方がマスコミに云う。「市長やら市会議員やら、警察は何やっとるんど。同じ穴のムジナじゃないか。極道じゃけ、われだけ牢屋に入ってこい云う理屈があるけ」これに対応するのは狭義には本作の土地疑惑事件だが、広義には市長が大原組の親分を説得する言い分「我が郷土を赤旗から守るためにも、君たちの力がいるんじゃ」だ。しかし、これは保守政治家たちが右翼を保護した理屈で、任侠映画なら妥当するが、ヤクザには該当しないはずだ。ヤクザが日教組大会に突撃した話など聞いたことがない。

「あの頃(敗戦直後)は食いもんがのうでのう、闇米買い出しに行く度に、サツの規制に引っ掛かって、全部没収されよるんじゃ。ほいじゃったら没収する側に回っちゃろ思ての」警察志望の動機をこう語る文太は、梅宮にこう迫る。「あん頃はのう、上は天皇陛下から下は赤ん坊まで、横流しの闇米食ろうて生きとったんで。あんたもその米で育ったんじゃろうが。きれい面して法の番人じゃ何じゃ云うんじゃったら、18年前われが犯した罪清算してから、旨い飯食うてみいや」。これは詭弁に聞こえる。誰もが違法な闇米を食わざるを得なかったのは事実だが、全てヤクザ経由だったはずはない。

深作はこの脚本を「完璧過ぎて映画化できない」と語ったらしい(深作=笠原コンビの映画は仁義なきシリーズと本作及び『くちなしの花』のみ)が、私には説得力がないようにみえる。俺はヤクザが嫌いだ、と仁義なきシリーズだかの作品に最低点をつけている方がいた。笠原がこの単刀直入な意見に上手く応えているとは思えない。本作を場末の映画館で観たら、訳の判らない理屈にビビらざるを得ないだろう。

そうして結局は、法への義理より渡世の人情ぐらいの、いつもの世界に納まってしまう。加害者不明の殺人事件の片棒を担いだ文太が加害車不明で殺される因果話は、悪い人はそのように死ぬのだと我々日本人を得心させる物語であり、そのようにして古い男どもは消えてゆく。ラストなど鮮やかなものなだけに、先の理屈がいいものだったらと惜しまれる。もっとも、正当な理屈があるなら世の中こうではないはずだが。

(評価:★3)

投票

このコメントを気に入った人達 (2 人)DSCH[*] けにろん[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。