[コメント] 儀式(1971/日)
人間ってのは、たいてい同じようなことを考えるものなのかなあ。
眉がない。満州から引き上げてきた母子が、父(夫)の死を知らされ、村?を出ようとする。と、親戚一同に追いかけられ捕まえられる。突然地べたに耳をくっつけて、音を聞こうとする。その理由は、戦前に弟を殺して、土の中に埋めたからである。は? なんだそのエピソード?
このように、説明がないから意味不明なのだが、登場人物の不可解な行動、訳のわからない発言、現実に似て非なるシュールなエピソードによって、物語が展開する。不思議なのは、それでいて主人公のある種の想いというか、情感みたいなものを、きちんと一筋紡ぎ出して見えることだ。それは私のようなものにも確かにこの世に存在していそうな一つの情感であると思わせるものである。私からすると、大島渚という映画監督は、非現実的なエピソードを用いて普遍的な情感を紡ぎ出すという、誠に変わった才能の持ち主に思える。
だがやはり、なぜありふれたエピソードを用いてそれを描こうとしないのか不明だ。当時は、こんな不明な言辞を弄すスタイルがかっこよくて女にモテたのだ、とでも考えると私にはわかりやすい。でも小山明子って大島のカミさんじゃなかったっけ?
あと光源の使い方が上手いのだろうが、空気がとても澄みきって見え、日本の風景なのに日本じゃないみたい。『エイリアン』みたいに宇宙空間ででも撮影されたかのような澄み切り方。
65/100(09/09/17見)
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