コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] アクト・オブ・キリング(2012/デンマーク=インドネシア=ノルウェー=英)

インドネシアでの軍事クーデターをきっかけに起きた虐殺は「アカ狩り」であり、アメリカは(当然)その軍事政権を支援する立場だった。この映画の監督はアメリカ人であり、かつて人々を殺したギャング達は嬉々として若かりし頃の己の"武勇伝"をカメラの前で話す。はじめは元気いっぱい殺人の過程を再現していたおじいちゃんだったが、次第に様子が変わってきて…という実録フィルム。
mermo72

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







虐殺者アンワルさんに肉体的な拒絶反応が起きるシーンにはただただびっくりした。うーん、倫理観ってどこからくるんだろう?いやでも倫理なんてものであの状態になったわけではない。不必要な、極端に自然に反した直接的な人体破壊行為は実際のところ肉体に耐えがたい負荷がかかるものなのだろうが、そのトラウマは身体の奥深くに封印されていた。「倫理」が後天的に獲得する偏った知識であるのと同様に、「自分は正しい殺人者である」という自意識もまた無理に植え付けられたものなのだろう。

共に鑑賞した演出家の友人が「編集や撮影方法にどれくらい監督の意図が入っているのか」という視点で見ていたそうだが、そう考えるとなるほど。監督はできる限り被写体を自由にさせそれを記録していたのだろうと感じられるが、後半では被写体に対し虐殺行為は肯定されるべきでないような趣旨の発言もあった。アンワルさんがあそこまでの状態に陥ることは、彼一人で過ごしていては起こりえなかったはずだ。撮影を通して、つまりは監督という人間を通過することで発生した事態である。監督は長期に渡って政治的暴力やジェノサイドを研究しており、おそらくある種の「倫理観を持った」人物である。撮影を通して彼の恣意性や誘導が全くなかったとは言えない。

映画に収まったのはアンワルさんの劇的な変化であるが、なぜそれが他の虐殺者でなくアンワルさんであったのか。 これは推測であるが、監督は多くの虐殺者達と共に撮影を進めるうちにアンワルさんの内に起きた僅かな徴候を刑事のように嗅ぎ取り、彼に焦点を絞ったのではないか、「こいつは落ちる可能性がある」と。ある意味、結果として、アンワルさんは映画に利用されてしまったのかもしれない。 しかし「監督の持つ『倫理観』によってアンワルさんの『良心』が目覚めた」というようなことはない。

アンワルさんの内面にあったくすぶっていたもの、それは「人間性」などというものより「肉体的な反応」であるとわたしはおもう。それがたまたま撮れてしまったのだ。生物としてあまりに負担の大きい不自然な行為を行なった代償が起きたのだろう、と考える。わたしはボディ・ワーカーだし。

それにしてもアメリカの支援によって虐殺者となり、アメリカ人によって非常に重いトラウマの封印を解かれてしまった老人の人生を考えると明るい気持ちにはなれない。わたし自身も自分の意志で考えていることなど何一つないのではないか、と改めておもう。

(あとアンワルさんの孫の顔が完全にイッててそれも怖かった。。。なんだろうあれ。。。)

(評価:★3)

投票

このコメントを気に入った人達 (3 人)3819695[*] 味噌漬の味[*] ロープブレーク

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。