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[コメント] 幕が上がる(2015/日)

優秀な「アイドル映画」。「青春映画」の名作に成り得る要素は用意されていたのだが・・
pinkmoon

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







《アイドル映画としてのレビュー》

アイドル映画はスケジュールに限りがある売れっ子を短時間でいかに魅力的に撮るかが勝負で、ストーリーや映画の完成度は二の次というのが一般的。80年代は腐るほどあったな〜。商業的に成功すれば100点で真面目に語るのが逆に恥ずかしい感じだった。その中で『時をかける少女』や『セーラー服と機関銃』は他とは一線を画した存在だった。やはり監督の手腕によるものか。

アイドル映画としてこの映画が優れているのは、彼女たちが自然に演じれば素晴らしいストーリーが展開され、彼女らの個性と魅力が120%引き出せる脚本と配役が用意できたことに尽きる。何と清々しいく映っていたことか。恋愛モノやミステリーなどに手を出していたらこうはいかなかっただろう。彼女らはすでにメディアで等身大の自分達が表現できているので、そのまま5人の関係性を中心に演じられるこの脚本がすべて。中でも百田夏菜子の魅力は飛び抜けていた。 正直ちょっと舐めてました。。申し訳ありません。

《青春映画としてのレビュー》

なので余計にモッタイないのです。これは完全に制作側に責任がある。

まず、何故ナレーションを入れたのか??映画としての表現を半分捨ており、観客との距離感が変わってしまった。恐らくこの映画に関わっている関係者の中には同じ疑問を持った方が複数いたと思う。誰か指摘できなかったのか? また、天龍源一郎や鶴瓶や松崎しげるの出演は誰のためのサービスなのか?映画の雰囲気を一気に台無しにしたことに気付いているのか? あとカメラ回りすぎ。回れば映画的になるとでも思っているのか? 単なる悪口になってしまったが、これらは元々「映画」を作る気がないように思えてしょうがないのです。。 黒木華志賀廣太郎清水ミチコの熱演に水を差した結果になっていると思うのです。

これは私の持論だが、日本の優秀な青春映画にはセオリーがある。 隔離された地域や家庭や学校や季節など、自分達にはどうすることもできない条件の中で、ただ純粋にひたすらにひとつのことに向かい合う若者の姿がいかに描かれているか。特に日本には豊かな四季があり、少し地域が異なるだけでその地域を包む空気感が違ってくる。これを引いた目線で添えるだけでずいぶん映画の様子が大きく違ってくると思うのだ。

これは静岡の設定だと思うが本来そこに住んでいると感じられる地域の匂いや、学生の時に感じる東京までの心の距離感などがあると思うのです。 また、学校での顔とは違うそれぞれの家庭環境や親兄弟との微妙な距離感があると思うのです。 夏のジリジリとした暑さも彼女たちの心の揺らぎに関係なく残酷に過ぎていくと思うのです。 具体的になればなるほど誰もが同じ頃に感じたあの青くて淡い記憶と重なっていくのです。 だからその中で前に進もうとする少年少女の姿に感動するのだと思うのです。

残酷な言い方になるが、あの頃に感じたことを持ってきていない人がこの手の映画制作に関わってはいけないと思う。

部品はすべて揃っている簡単なプラモデルを組み立てられず、余計な装飾だけをしてしまった感じがしてしまう。

(評価:★3)

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