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[コメント] ソロモンの偽証 前篇・事件(2015/日)

めっちゃ面白かった。疲れたけど。これから「失われた10年」を生きていく子供たちの幕開けとも読み取れる。
ペペロンチーノ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







死体を俯瞰で写すんですね。アップからワンカットでカメラが引く。おそらく、彼が落ちたであろうその高さまで。 事件の発覚は朝。学校の通用門口。白銀の世界。広い空間をカメラが捉えます。

一方、後編に続く本作の終わりは夜。閉ざされた室内。そして事件当日の屋上。冒頭の白いイメージから一転、黒いイメージで幕を閉じます。 (バックに流れる「アルビノーニのアダージョ」がこれまたいいんだ。よく海外の葬儀で使われる曲なんだけど、ドラマ「あ・うん」でも使われてた印象が残っている)

尾野真千子演じる女性の「過去語り」の形式で映画が始まりますが、これには最初少々疑問を持ったんですね。過去の物語であることを強調されると緊張感が持続しない。原作は読んでいないけど、結果を明かしてから振り返るべき内容じゃないと思ったのです。 やはり監督もそこは分かっているのか、ナレーションは入れるけれども、極力最小限に抑え、決して現代と過去を行き来せず、観客の緊張感を切らせません。

じゃあ、どうして回想という形をとったんだろう?

一つには、主人公の少女の“視点”ということを重視したのかもしれません。リアルタイムでは彼女の知り得ない状況も説明する必要がある。でも、少女の視点で大人を描きたかった。彼女が真っ直ぐ見つめる視線が、この映画の肝であるような気がするのです。 またあるいは、主人公と一緒に観客を「全能の神」のポジションに置いて、後半で裏切るのかもね。勝手な推測だけど。

そしてさらに、現代シーンの会話中に出てくる「バブルの終わり頃だった」という言葉も重要なのではないかと思うのです。むしろ、わざわざこんな事を言わせるために現代シーンを用意したのかもしれません。 事件は1990年。この1,2年後にバブル崩壊。この時中学生だった主人公たちは「失われた10年」と呼ばれる時代に成長し、大人になるのです。 バブル時期、つまりこの事件の時点で、大人たちは“うわべ”の好景気に浮かれ、物事の本質を見失っていた時代だったのです。だからこの映画の大人たちは“うわべ”を装うための結論にすぐ飛び付こうとします。 しかし、そんな大人の姿を横目で見ながら、その先の時代を生きねばならない中学生たちは(少なくとも主人公は)、大人が見せようとする“うわべ”ではなく、その根底にある“真実”を見つけようとするのです。それが主人公の少女の“真っ直ぐな瞳”に集約されている。この映画は、そんな映画のように思うのです。

(15.03.21 ユナイテッド・シネマとしまえんにて鑑賞)

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)けにろん[*] ぽんしゅう[*]

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