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[コメント] 葛城事件(2016/日)

人間が人間に無茶な要求をするクソ加減の表現が秀逸。しかしクソ人間でもひとは他人を求め続ける。☆4.0点。
死ぬまでシネマ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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「毒親」の問題はそんじょそこらのコンプレックスや差別の問題よりも根深い。渦中に居る(居た)人間からすれば、何を言っても「何を言ってるんだ」となるだろう。独立した人間として勝手に言わせて貰うしかない。

揃いも揃ってクズ人間の集まりである。特に次男=稔(若葉竜也)のクズっぷりは無いが、事件を起こした後は愈々繕うものも何も無いという事で、自暴自棄というよりあれが最も自然な本性なのだろう。

どうしてこうなるのかと言えば、ダメだダメだ言われ続けたからという事になる。ヤル気の芽を摘まれ、些細な事に叱られ続けて真面な向上心も親切心も持てなくなってしまった。状況は解らなくは無い。

では父親が元凶かと言われれば、父親=清(三浦友和)は家族を疎かにした訳では無い。彼が望んだのは自分が恐怖で支配する王国ではなく、蜜柑の樹と共に逞ましく育つ息子達を微笑ましく眺める夫婦がいる家庭だった。清は一人では家庭は作れなかったのだ。妻=伸子(南 果歩)が必要だったし、息子達が必要だった。しかし、彼には「家族」は居なかった。

この父親の在り方を根本から否定するなら、寺内貫太郎(小林亜星)もはっちゃくの父ちゃん(東野英心)も否定しなくてはならない。まぁ時代では無いという事で完全否定する人もいるのだろうが、自分の出自を否定する様なものだと思う(それでもすると言うなら否定してもいいのだが)。それなら、完璧な人間しか子供を育ててはいけなくなる。

この家族では長男だけが他人を見る事の出来る人間だった。周囲を伺う気質というのは下の子のものかと思っていたが、長男に厳しい家庭ではこうなるものか。しかし家族への気遣いがあっても自分自身の軸がない長男=保(新井浩文)は、結局何も出来ず、自己主張も出来ず、自分の範囲内で出来る自己処理をするしかなかった。

何がクズだったのかと考えると、揃いも揃って「何を言っても無駄」。死んでも直らない、という事では無いだろうか。他者(別の価値観)への無寛容・狭量だ。父親の首吊りを「最後に気づいたが遅かった」、失敗して麺をすする姿を悲哀と見るひとも居ると思うが、清は家族全てを失ない、世間から死ネ死ネ言われてるので、仕方なく吊ってみただけだと思う。息子達同様頼りにならなかった蜜柑の枝にガッカリしつつ、食事に戻ったに過ぎない。何も変わってないのだ。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)寒山拾得 けにろん[*]

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