[コメント] 独裁者と小さな孫(2014/グルジア=仏=英=独)
映画を見終った人むけのレビューです。
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本作では、地名も人名も全くでてこない。かろうじてでてきた人名は、孫の遊び相手の女の子と大統領の昔なじみの娼婦の名前で、ともに「マリア」であった。そしてもう一つは、逃亡中の孫につけた仮名である「ダチ」である。(エンドロールを観ていると、孫の子役の本名がダチだった)
固有名詞のない地名、人名だらけだからこそ、この物語はどこででも起こりそうでもあり、そして同時にどこの話でもない。
クーデター以降の混乱で暴徒と化した兵士たち、その兵士の暴虐を命惜しさに下を向いて見ないふりをする人たち、土壇場で大統領を捕まえた群衆、「殺すな」と叫び身を呈す政治犯、これらは誰でもあり、誰でもない。
だからこそ「自分ならどうするか」と考えずにはいられない。
同時に余りに重たい問いであるが故に、それは真剣に考えればとても耐えられない重さにもみえる。もしその問いで、具体的な人たちの名前を、土地の名前を、知っていたら、そのあまりの重さに潰れてしまいそうでもある。
最後、とらえられた大統領の運命は、銃殺から縛り首、火あぶり、逮捕、斬首から八つ裂きと二転三転する。いずれももっとな処遇でもある。
その時、自分はどうするだろうか。あの幼く可愛らしい孫は許してやれと言えても、政治犯のように、「先に俺の首を切れ」とはとても言えそうにない。負の連鎖を絶つべきだが、それは俺の次にしてくれと言ってしまうのではないか。
この問いかけの重さを受けとめつつ、戸惑わずにはいられない、そんな映画であった。
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