[コメント] イット・フォローズ(2014/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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「それ」がゆっくり歩いてくるというギミックもいいんだけど、演出、とりわけカメラが抜群にうまい。地元高校を訪れる場面で、360°ぐるーりと回るカメラが捉える「それ」なんか実に怖くて、しかも登場人物らは気づかないまま。たぶんこういうケースが幾度もあったのだろうなあと思わせる、実在感あふれる場面だった。作り話なのに。
劇中、ジェイの母親がチラッと登場するんだけど、顔がよく見えない。昼から酒を飲んでおり、何やらただならぬ気配もする。母親は全然物語には絡んでこないんだが、後から考えるとそれも極めて不自然で、なんだか不気味だ。
欧米の映画ではよく鏡に写真貼ってるのを見かけるけど、あちらにはそういう文化風習でもあるのだろうか。『ロッキー』ではメチャ貼ってたし、『ロッキー4 炎の友情』ではロシアの雪原の合宿小屋に引っ越してきたロッキーが早速鏡に写真を貼っつけるという場面もあった。この映画では、ジェイの部屋の鏡に亡父の写真が貼ってある。
ジェイの家の向かいに住んでるイケメンは、自室のドアを開けて「それ」と出会う時に「なんだよオカンうるせーよ」みたいなことを言ってた。あれ、ドアを開ける前に言ってたか開けてから言ってたかよく覚えてないんだけど、たぶん「それ」は本当に彼の母親の姿をしていたんだろうと思う。
なぜならクライマックスのプールでジェイの前に現れた「それ」はヒゲの男で、どうもジェイの亡父の姿をしていたのではないかと思えるからだ。これが何を意味しているかは、よく判らない。なにしろこの映画、T・S・エリオットの詩やドストエフスキーの「白痴」の引用など、どう見ても何らかの意味があるんだろうけどよく判らないことだらけなのである。
結末で、ジェイは幼馴染のボンクラと運命共同体となる。手を繋いで歩く2人の後ろから、誰かがついてくる。あれがただのご近所さんなのか、「それ」なのかは判らない。しかしねえ、人間はいつかは死ぬんだ。誰だって死ぬんだ。ジェイと我々の違いとは、近づいてくる死が見えるか、見えないか、それだけだ。2人は「死が2人を分かつまで」ともに生きることを決めたのだとお見受けした。なーんだ当たり前の話だな。羨ましくはない。
ひとついただけないのは、浜辺で「それ」に背後から襲われる場面。ファーストコンタクトが髪の毛つかむって、そりゃあねえだろうと思いましたよ。
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