[コメント] 何者(2016/日)
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原作は読んだ上での鑑賞。就活に臨む大学生をSNSなどの関わりを通しながら描いた作品で、結構驚いたのは登場人物がみんななかなか適役が割り振られていること。主人公を演じた佐藤健然り、菅田将暉、有村架純、二階堂ふみ、岡田将生、山田孝之と、豪華なメンバーであり、尚且つ演技の幅も広い役者ばかりなので、こんなにしっくり配役も初めてだった。 原作同様、本作の主張はなかなか面白い。就活に頭を悩ませる現代の若者や社会への問題提起と見せかけて、実は社会で生きる人間そのものにテーマがあり、SNSに囲まれた現代人には特に響く作品だと思った。
中でも自分と重ねてしまうのが主人公の拓人。私はSNSはやっているが本作のようなツイッターはやっていないし、そもそもツイッターじゃなかろうと人を傷つけるようなことは言わない。裏アカとか鍵アカとかなどには嫌悪感を覚えるレベルだ。だから拓人とは違うし関係ない…と考えている自分。それなのに、いや、だからこそ、この作品は突き刺さる作品でもあった。
なんで拓人との違いもわかっているのに、行動にも憤りを感じるのに、拓人と重ねて見終わった後で複雑な思いになったのか。 それはたぶん、拓人と同じ時点で物事を考える自分がいるからだろう。人のことをどこか客観的に見て、時には冷ややかな白い目で見たり、自分の人を見る力は優れていると過信したり、そういう共感する部分があるにも関わらず、いざ肝心のその人が責め立てられると、自分には関係ないと他人のフリをしたりする。ツイッターだ、裏アカだ、とやっていないだけの話で、まさしく自分のことじゃないのか。だから嫌な後味が残るのだろう。
人間は汚く、醜く、卑怯だ。少なからず誰しもそういう部分を持ち合わせているはず。それは自分がかわいいからだ。自分のことを嫌いだとか口では言いながら、そんな自分を守りたいと思っている。悔しいけどそれが人間だ。
本作で登場する人間は確かに周りにもいるだろう。お調子者だけど要領よく卒なくこなしたり、真面目で目立たなくてもしっかり周りを見て気配りできるような人は何だかんだ敵が少なく上手くやっていく。自己主張が強すぎて理想を語るような人や、八方美人で頑張ってますアピールをするような人は敵が多くて苦労する。世の中そんなもんだ。
では自分は一体どうだろうか。社会に向けて自分を表現できているか。冷静に分析してわかった気になって、その場が円滑に行くように取り繕う自分は本物か。その場を離れて客観的に見て、「あいつはああだこうだ」という思いを心の中に内包して隠し通す自分は偽物か。今社会に向き合っている自分は「何者」だ。自己か。自分であるのに他者か。他者だから関係ないのか。 いや、それも含めて全て自分だ。内向きで心の中で思っていることも、それを踏まえて外に向けた態度も、全て自分だ。 結局周りから、社会からすると「そういう人」と認識され、自分がどう思おうが表面的に「そういう人」として見られる。「そういう人」が必要とされれば上手くいくし、必要とされなければ苦労する。社会ってそんなもんだ。
じゃあ結局拓人みたいな人はどうか。必要とされなかった。でもラストの拓人は違う。自分が何者であるべきか。それを把握している。「面接官に見る目がない。面接で俺の何がわかる。本当の俺は…」とか思ったりしない。拓人という内面も外面も含めて「そういう人」であろうとする覚悟ができている。自分を認められる人は強い。
私は拓人とは似ていてもやはり違う。だったら何者だ。やはり必要とされないのか。 わからない。しかし、わからないけどそういう自分がいることは認められた。だったらこの先いつかは光明が差すのかもしれない。
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