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[コメント] マンチェスター・バイ・ザ・シー(2016/米)

通俗ハリウッドの期待の地平を超えてはいるが、だからといって何がある訳でもなく
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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ハリウッドのありきたりな再生の物語に収斂されるのだろうという予想を見事に覆してくれた、という意味では、観終わっての感慨はあった。結局、ケイシー・アフレックはこの帰省で何も得なかった。ただミシェル・ウィリアムズの詫びを聞いたというだけで、甥っ子とともに残してきたものを整理しただけだ。

ミシェル・ウィリアムズは主演女優なのに出番が余りない。想像に過ぎないけれど、彼女が子供たちを失って半狂乱になるシーンは実は撮られていて、あえて全部カットしたのではないだろうか。そういう当たり前の件が省略されているのは巧みだと思う。甥っ子の生態は『グローイング・アップ』シリーズみたいなもので(オルタナ系の下手糞なバンドがいい)、叔父とのぎこちない組み合わせはリアルで面白味がある。そして最初から最後まで短気の治らない主人公(ここはもっと敷衍させてほしかった)。苦々しさがくすんだ色調で統一されている。外連味のない撮影もいい。

ただしかしこの脚本、特に優れているとは思われない。近親の死とともに見直される関係性という話は正直厭きたし、加えられたサムシングが見当たらない。オフ・ブロードウェイ系のウェル・メイドな戯曲などと並べればありがちなものだ。例えば財産処分の話でもあるからチェーホフの「桜の園」が想起されるが、あの苦々しい「喜劇」に何が付け足されたか、と見回せば何も出てこない。実名の土地に何がある訳でもなく、時代も反映されず、ただto once upon a time there wereという抽象があるだけだ。

酷いのは音楽。オールディーズの垂れ流しも『グローイング・アップ』シリーズなのだろうが、上記の抽象に加担するばかりだし、アルビノーニのアダージョの通俗な大仰さは赤面するほど恥ずかしい。カソリック家庭との距離感を伺わせる会話の前後に宗教音楽を流すのも意味不明。あと、死んだ娘が出てくる件はフロイト「夢判断」の有名な挿話(「お父さん、僕が燃えているのがわからないの?」)のパクリで白ける。

(評価:★3)

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