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[コメント] ある精肉店のはなし(2013/日)

「瞬間」を捉える嗅覚に並外れて優れた撮影・録音スタッフや、カット間・シーン間・シークェンス間いずれの構成力にも長けた天才的な編集者でも擁するのでない限り、ドキュメンタリ映画が成功を収める鍵は「題材」ではなく「人物」が握っている。被写体たる人物の魅力が映画の面白さに直結する、はずだ。
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この映画に即して云い換えると、この映画の面白さは「精肉店」という生業や、その背景にある被差別の歴史に存するのではない。あくまでも北出家の人々の人格的な魅力こそが映画に面白さを与えている。したがって題名の一部「ある精肉店」は取材対象の任意性ではなしに、厳密な特定性を示すものとして読まれなければならない(北出精肉店と同様の条件を備えたすべての精肉店が『ある精肉店のはなし』と同水準の面白さの映画を産み出すことができるでしょうか。そんな馬鹿げた話は児童でも信じないでしょう)。

もちろん、屠蓄シーンに見られるがごときプロフェッショナルな連携作業であるとか、「題材」ならではの佳さもふんだんに含まれてはいる。しかし、それでもこの映画のアイデンティティは北出一家の人格にある。たとえば「町のお肉屋さん」という大雑把な肩書からはおよそ想像されないような長男・新司さんの知的な落着きと語り口。これがまず映画の主調をシンパセティックに形成する。また、その夫人・静子さんの語らずしても醸し出されるヒューモラスな茶目っ気は映画の潤いに多大な貢献を果たすだろう。次男・昭さんは序盤にもかかわらず「太鼓職人に、俺はなる!」(意訳)と宣言して、その「精肉店のはなし」からの逸脱ぶりに大いに笑わされる。むろん、たとえ被差別民の歴史に暗かったとしても、太鼓作りが動物の皮革を取り扱うという点で畜産・精肉販売と隣接した業種であることはすぐさま思い当たらなければならないのかもしれないが、この飄々とした唐突さがいかにも映画らしい面白さなのだ(同時に、この太鼓職人「転向」の理由のひとつが、一家が従来のように牛の肥育を含めた経営をできなくなったことにあると知れると、自らが催した笑いに一抹の後暗さを覚えずにいられません。これはこの映画が持ちえた豊かさの一例にほかなりません)。夏祭りにおける長女・澄子さんの念入りな仮装もぶっ飛んでおり、これもまた「ある精肉店のはなし」にはよい意味でふさわしくない一場面だ。そして、祭りと云えば、だんじりの力感を存分に刻み込んだ諸カットの迫真性も忘れてはならないだろう。

云うまでもなく、以上は私なりの見方に基づいたこの映画についての所感(の一部)に過ぎない。そして、それは『ある精肉店のはなし』の豊かさを記述し尽くしたものではまったくない。あるひとつの視座、あるひとつの切り口からはその全貌を収めきれないこと。優れた映画の絶対条件であるそれを『ある精肉店のはなし』は易々と備えている。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)jollyjoker ぽんしゅう[*]

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