[コメント] ミークス・カットオフ(2010/米)
夜になるととても暗い、黒い夜だ。ガイド(案内人)のミークをやめさせるかどうか、男たちが話し合いをしている。そこに女は参加しない。だんだんと、大きな開拓民の一団から、別ルートで近道を行こうとしている三つの家族の話だと分かってくる。タイトルは「ミークの近道」というような意味だ。はたして、ミークは信じられるのか、そもそも近道なんて存在するのか。いや、次の水場へも生きてたどり着けるのか。
やはり、淡々とした、突き放した筆致で描かれる映画だが、本作には、皆が目指すべき、はっきりとしたゴールがあるので、求心力もあり、また、分かりやすく良い演出も沢山ある。まずは、インディアンの登場シーン。ミシェル・ウィリアムズが、荒野で木切れを集めている際に、足元のカットで登場し、彼女が目を上げると、逃げて行く。動顛したウィリアムズが、馬車のところへ戻り、単発のライフル銃を取り出し、空に向かって撃ち放つ場面は、観客も狼狽させる良いシーンだ。
ウィリアムズは、ミーク-ブルース・グリーンウッドのことを嫌っている。ミークは女たちのところへ来て、女の本質は混沌、男は破壊だ、などという警句を吐いたりする。ミークとウィリアムズの夫-ウィル・パットンが、インディアンを捕縛し、帰って来る場面の見せ方も凝っている。地平線というか、丘の稜線に二騎の超ロングショットでまず見せるのだ(大勢のインディアンの襲撃かも知れないと思わせる)。その捕縛シーンは、大したアクションシーンになっただろうが、全く割愛する、というのもクレバーな判断だろう。見せる見せないの選択で云うと、ミークがインディアンを殴る場面も、女たちが顔を背けるカットを挿入し、暴力そのものは見せないのだ。また、ウィリアムズがインディアンの靴(モカシン)のほころびを繕うシーンでは、彼の登場の足元への視線を思い起させる、という重層的な構成も巧い。
さて、エンディングについてはできるだけ触れたくないが、どんどんと混沌とした状況になっていき、どんどんインディアンが重要な位置づけになる、とだけ記述しておこう。まるでモンテ・ヘルマンの西部劇みたいだ。本作もまた、今世紀における決定的に重要な西部劇の一つだろう。
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