[コメント] あゝ、荒野 後編(2017/日)
祭りの後の世相の閉塞と混乱。血縁(母の影。あゝ、寺山!)のしがらみと愛憎。闘争と同化の象徴としてのボクシング。この大、中、小のファクターがはらむ熱量が、リングの死闘を軸に一気に激突する終盤が映画の肝なはずなのに、それぞれの描写のバランスが悪い。
「ボクサーの激闘」対「血縁の愛憎」対「大衆の波動」というエネルギーが対等にぶつかり合い、幾何級数的に膨らむ思念と社会の怒りがスクリーンに充満する。きっとそんなクライマックスを演出家は想定したのだと思う。
ところがエネルギーは空吹き状態で昇華せず、中途半端なボクシング映画の域を脱しきれないでいる。延々と繰り広げられる「ボクサーの激闘」に対して、他の二つの要素の描写が希薄だからだろう。とりわけ世相の怒りを担うはずの街頭デモが貧弱で致命的。せめて、2015年の国会前の安保法案反対デモを連想するくらいの工夫は必要でしょう。
メインフレームとして描かれるボクサーの怒りと苦悩が、世情がはらむ怒りと苦悩にシンクロしたとき、このちょっとだけ思索的な青春スポ根映画は定型を脱し、近未来の社会派哲学青春映画としての意味を持っただろう。そして世相にコミットするだけの濃度を獲得した傑作になった思う。
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