[コメント] グレイテスト・ショーマン(2017/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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サーカスの見世物小屋的側面は興行としてとても大事で、彼らフリークスはその異様な姿と芸を密室の中で存分に発揮し、観客はそれに喜び金を落とす。そしてそれが彼らの収入となり、誇りある仕事となる。それは「さべつだー」とか簡単に片づけられる事柄ではなく、確かにその空間で彼らは観客と自分たちと同じ空間を共有できるのだ。入場料、ポップコーンや飲み物、さらにレティのヒゲのお面だって、今のアーティストのライブの物販と同じように普通に売店で売られて、それを身に着けて楽しそうに笑う女の子と、レティはきっと一緒に笑顔で写真に納まったりしただろう(当時写真は個人に一般的ではなかったけど)。それがフリークスというスターたちの在り方であり、それらはここから始まって行ったのだ。
暗闇は私の友達。お前はいらない奴って言われた。でも傷つけられても、謝らない、これが私(達)だ。さあ化け物の私がそっちに行くぞ、私は恥ずかしくなんかない。これが私、これが私(達)なんだ。
その場を、仲間を、金儲けのためとは言え全力で作り上げたバーナム氏を、フリークスたちは必要とし続けた。偉大なるショーマンとして。
ラストシーンで、バーナム氏はめかしこんで家族を象に乗って迎えに行く。 そう象だ。エレガントに馬車なんかではない。驚いたり眉をひそめたりする人たちに、「どうだい、象だぜ?見たことあるかい?」とむしろ「見下ろして」みせるのだ。興行で、ショーマンとして俺は生きていく。その矜持を暗示してこの映画は終わる。
まさにグレーテストショーマンというタイトルにふさわしい終わり方だった。
あとバーナム氏はまったくブレてはいない。彼が望んだのは成功と名声。だがそれは自分が貧しい出自だけに、良家の子女であった妻を幸せにするため。娘たちが二度と侮辱されないため。それだけだったのだから。
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