[コメント] 遠雷(1981/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
作劇としては、ジョニー大倉の長台詞(横山リエ殺害に係る)をどう見るかで評価は変わるだろう。私はこれが上手くいったが故の佳作だと思う。結婚式と痴情殺人、禍福は糾える縄の如しの対照はよくある展開であり、後者を実写で並べたら当たり前の作品になったのではないか。これを省略したことで、本作は永島敏行と石田えりの、地に足がついているようないないような、冗談だらけだがとても地道な関係だけが印象に残る。
この帰農の理想は一面、政治に敗北した当時のインテリのものだったのだろう(選挙違反で捕まるケーシー高峰に田舎政治のグダグダが対照されている)。これだってその後連戦連敗の道が続く訳だけど、このスタートは実に明るい。石田えりは81年の吉永小百合だった。大倉の嘆きは遠い木霊のようなものに据え置かれた。この匙加減の味わいが肝だろうと思う。
佐々木史朗氏と根岸吉太郎氏の対談が聴講できたので面白かった処をメモ(いいのかな)。
○ 立松和平を同時代を代表する作家と認めていて(そうなんですか)、荒井晴彦と三名で新作を狙っていた。この原作は藤田敏八、長谷川和彦も食指を動かしていた。
○ 根岸一般映画1作目、ATGで撮るにあたって、社会派やアートを目指さずロマンポルノを目指したとのこと。
○ 二人しての安藤庄平の賞賛。彼は監督がキャメラを覗くのを嫌がる人で、本作でも監督に相談があったのはエンドロールの長尺シーンのみ。次回作の深作作品では、深作がフレームを確認するのだと安藤は根岸に愚痴った(!)。
○ 件の台本6頁に及ぶ長台詞については、回想劇にするか最後まで逡巡があったこと。
○ 「わたしの青い鳥」については、当時山口百恵引退の時期であったが、「辞めていく人より続けていく人の歌が作品に相応しい」との趣旨で桜田淳子の唄が選ばれた。彼女のその後の顛末については弱ったという顔で言葉尻を濁しておられた。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (2 人) | [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。