[コメント] タイトル、拒絶(2019/日)
溝口の『赤線地帯』には生への懸命な渇望があった。ロマンポルノの名作『ピンクサロン好色五人女』には愛と慈しみと悲しみがあった。この風俗嬢の群像劇には空疎な諦念しかない。これが今の“女のカタチ”だとするなら、あまりに被害者意識が過ぎて希望がない。
女であることを一旦休止した伊藤沙莉が、商品としての価値を極めた風俗嬢たちに究極の“女のカタチ”をみる、という構造なのだが、ひとり一人の描き込みが浅いので彼女たちのキャラも心情も見えてこず虚しく話が流れていくだけだ。台詞をこなすのに精一杯で、映像(視覚)的な工夫が見当たらず画面が何も語りかけてこないからだろう。
「個」が描ききれていないのだから「群像」が成立するはずもなく、「群像」が見えないのだから女であることを一旦停止した女(伊藤)の目(すなわち私たち観客)の「客観的な視線」も成立しない。映像の特性を使いこなせないのは舞台作家出身の映画監督に多い失敗だ。
せっかくの伊藤沙莉、恒松祐里、佐津川愛美の個性を使いこなせず空回り。寂しさを秘めた貫禄をキャリアでこなす片岡礼子と、独特の風貌とたたずまいで存在感を示すモトーラ世理奈が印象的。行平あい佳は、ロマンポルノのアイドルとして一世を風靡した寺島まゆみ(懐かしい!)の娘さんだそうだ。あんまりお母さんに似ていないですね。
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