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[コメント] シン・エヴァンゲリオン劇場版(2021/日)

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新世紀のエウアンゲリオン(福音=神による人類の救済)とは? いろいろな受け止めかたができると思うけど、監督が導き出した結論は、人類が「神の物語」と訣別することだ、というふうに私は思った。大半の人類は、神様なんて存在しないと本心では思っているくせに、人類の起源や存在の意味が「人知を超えている」ことをよいことに、世界や地球や宇宙において「最終責任者は私たちではない」という方針を貫いている。要するに最後は神様(的な存在)にケツをふかせればいいやと無軌道に生きている。誰もがいつかはなんとかしないとヤバイよなと思いつつも何もしない。それは無自覚に「いつか神様(的な存在)が現れて人類をさまざまな問題から救ってくれる」という、「神の物語」を無自覚に受け入れているということだから、もうそういう現実逃避はやめて、いったん「神の物語」からは降りましょう。天災や疫病や好きな人との死別や他人とつながれない孤独といった苦しみからは、神の物語に逃げ込んでいるうちは逃れられないのだ。人類は自助でもって人類や人類を生かしめている世界や地球や宇宙を救うしか道はない、カシウスの槍を与えられるのを待望するのではなく、自分たちの知恵でヴィレの槍を作り世界を救え、そういうダイレクトなメッセージだったと思う。なんのために知恵を持ったのか、持っているのか、人類の今いる立場こそが、神に押し付けてきた責任を代わりに果たす神の立場にいることなのだ、という意味での神殺し。ちょっと違うけど、ざっくり超訳的にいえば、アダム(神)とリリン(人類)の相克の物語として幕を閉じたのだと思う。

何を大袈裟な、とも自分でも思うが、SFとはそういう壮大なホラこそが本義なので、世界に誇れる最上級のガジェットとキャラクターを有し、あとは「どう物語るのか」だけが、エヴァに残された不安だったけど、ガジェットやキャラクターの素晴らしさにひけをとらないだけの重量感のある、語るべき価値のあるテーマでよかったと思う。特にシンジ君が「エヴァに乗る、乗らない」問題が、作品世界での人類の選択という全体テーマにまで関わる話にどうリンクさせるかという難しそうに思えた課題にはきっちり答えを出したのは凄いと思う。それはつまり「なんで僕(人類)がそんな(人類を救う)ことをしなきゃなんないんだよ。できっこないよ」はお互い言いっこ無しですよ、ということで。庵野監督はよく頑張ったと思う。

一方で、じゃあエヴァってそのことを語ることが第一義だったのか、っていうとそんなことはないわけで。古今東西の物語もおおむねそうだと思うけど、テーマを語るために娯楽の要素をまとうのではなく、娯楽を楽しむための言い訳にテーマはあるようなものだ。エヴァは、それを作るほうも見るほうも、その戦闘シーンや綾波やアスカやマリのエロを作りたくて見たくて存在しているのに決まっている。神殺しだの父殺しだの、エヴァで描かれる暴力やエロへの欲望を満たすことの後ろめたさに対する担保だといっていいと思う。(余談だけど本作は過去イチで女性キャラのボディライン、とりわけ尻と股間への執着を感じたのだけど、やっぱりこういうのを見ると本当に描きたかったことってこれなのかぁ、と思ってしまう。)

本作でのエヴァの結論て最初っから決まっていたことだったのだと思う。自分の父親への葛藤も、人類補完計画の行きつく先も。こんなに時間がかかったのは、テーマと娯楽をうまく着地させることが作劇的に難しかったからだけではないだろう。宮崎駿の『風立ちぬ』を見て思ったのは、さんざん文明批判をしながらも自然を破壊する乗り物への憧れを断ち切れない自分に対して「なんで好きなのか、そんなのわかんないんだよ」という開き直りだった。とうとう吐露しやがった、って思った。庵野監督が旧劇場版で過熱するエヴァファンに冷水を浴びせかけたのは、あの時はどうしても「なんで爆発やロリータ好きなのか、そんなのわかんないんだよ」と自分が開き直れなかったからのように思う。欲望はお互いしょうがないですね、こればっかりは。だけど自分の知ったことについては、自分ごととして責任を果たしましょう、はい、ではそのつもりでどうぞこれからもエヴァを楽しんでください、という監督のメッセージこそがタイトルの最後の「リピート記号」にあるのだと思う。監督の精神の成長、というか、老化を感じた。開き直りという「どうでもよくなる」感覚こそが、今回エヴァを終わらせることができた最大の要因なんだろう。是非に及ばず、である、というと若い人は怒るだろうなぁ笑。

そんな足掛け四半世紀の制作プロセスとともに見続けてきただけに「さらばエヴァンゲリヲン」という感慨を持つのだが、この「さらば」という感覚は、テレビシリーズから見てきた世代で終わりだろう。以降の若い世代には絶対「さらば」という感覚は生じないだろうな。情報と経験の差は大きい。だから彼らにしてみればリピート記号なんて大きなお世話だって話。『鬼滅の刃』とか、ほかに観るもんもあるしね。

(評価:★5)

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