[コメント] COME&GO カム・アンド・ゴー(2020/日=マレーシア)
何度も映る、十三辺りの高いビルから撮った(?)、淀川を挟んだ梅田スカイビルを含む大俯瞰のロングショット(眺望)が美しい。多くの男女と書いたが、本作では10人以上だ。その国籍は、日本だけでなく、韓国、中国、香港、台湾、ネパール、ベトナム、ミャンマー、マレーシアと多岐にわたる。あるいは、日本人でもハーフの青年が登場する。
こうなると、当然ながら(?)尺として食い足りない挿話も出てくる。私の感覚(あるいは好み)だと、千原せいじと渡辺真起子のパートが中途半端に感じた。その修羅場も含めて、本作の中では浮いているように思う。見終わって、筋立ての中心にいたと思い出されるのは、やはり、AV好きの台湾人シオカン−リー・カーションと、徳島から出て来た女の子まゆみ−兎丸愛美の行動を追った部分だ。それぞれ、いろいろな出来事を経験しながら、終盤になって、シオカンは北京からの旅行者ラオフアンと、まゆみはマレーシアから出張で来たビジネスマンのウィリアムと交流し、感慨深い画面で示されるからだ。ただ、シオカンとまゆみのいずれか一人を選ぶとすると、私は後者についてのプロットが断然面白かった。女優にスカウトされたと思うと、AV監督−尚玄に上手く云いくるめられて、あれよあれよという間に脱がされてしまう。その後、出会い喫茶からキャバクラへいたる展開には、作劇臭いけれど流転の面白さがあるし、あるいは、グランフロント大阪の噴水広場、夜のHEP観覧車といった梅田らしい画面を提供するのも彼女が一番ではないか。
ただし、マレーシア人のウィリアムスは、カッコ良すぎる描き方で少々鼻白む。彼とまゆみとの関係に関して、大方の観客はこれで良し、とするのだろうが、私は、もっとドロドロの様相を呈して尚清々しい、という帰結を期待していた。この清潔さは、監督がマレーシア人だからか?などとゲスの勘繰りをしてしまう。
尚、つい最近、渋谷周辺を舞台にして、13人の若者たちが緩く繋がる様子を描いた『スパゲティコード・ラブ』という、本作の構造とよく似た映画を見たのだが、そこで描かれる苦悩や焦燥のステレオタイプ(古臭さ)と、本作(『カム・アンド・ゴー』)のベトナム人労働者やミャンマーからの留学生のそれ(こちらもある意味ステレオタイプかもしれないが)との相違の大きさには愕然としてしまう。しかし、だからと云って(時事的?、告発的?という理由で)、本作を上に置く、という見方を私はしない。どちらも、映画表現として楽しんだし、どちらも佳編だと思う。
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