[コメント] 秘密の森の、その向こう(2021/仏)
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いま新作を楽しみにしている監督の一人、セリーヌ・シアマ。原題は「プチ・ママン」。英語で言うなら「リトル・ママ」。これはそういう映画です。いいえ、スナックのチーママの話ではありません。『燃ゆる女の肖像』は読み解きがいのある映画で、『トムボーイ』は子供の扱いが上手な映画でしたが、これはその両方。子供たちをどうやって演出してるんだろう?
パラレルワールドというのか何というのか、「小屋」を挟んでコッチの世界とアッチの世界が描かれますが、それを示唆する「道具」の見せ方が巧みです。棚か何かを動かして「古い壁紙が出てきた」という辺りから始まり、家の外観はただ同じ風景を映すだけではなく、主人公が立ち止まって見るというアクセントをつける。例えば室内の、廊下の物置。押して開くタイプの扉なのですが、主人公はちゃんとそれを押し開いて確認する。 これが下手な映画や脚本だと台詞で処理しちゃうんですよ。「同じだ…」とか何とかつぶやいたりして。この映画の台詞は優れていて、「トイレは廊下の奥?」って聞くんですね。自分がトイレに行きたいふりをして間取りを確認する、そして観客にも「彼女は気付いている」と分からせる秀逸な台詞。
この映画は主人公の少女の視点で貫かれていますが、彼女が何をどう感じたかということは言葉にしません。不思議な現象に対しても、論理的な説明めいたことは一切言いません。有体に言っちゃうと、この手の「子供もの」って「成長」を描きたくなるんですよ。いやまあ、それは悪いことではないんですけどね。
でもセリーヌ・シアマは、成長途上の少女の「今、この瞬間」を捉えようとしている気がします。森とか室内とかの閉塞感のある空間が多い映画ですが、ボートで漕ぎ出す二人の少女のシーンは一転して「抜け」の画面になります。これは若者たちには進むべき未来があることを暗示しているのでしょう。しかし監督は、少女の未来や成長に対して、論理的な説明や解説を付したり、観客の理解を得ようとしていません。私だけかもしれませんが、この映画で感じたのは「今、この瞬間」だったのです。
おそらく、監督の目線が少女の目線まで下がっているのでしょう。だから、未来とか成長とか母娘の絆といった「大人の理屈」は一切排除され、不思議な現象を説明することなくあっさり受け入れ、母親の過去を回想などではなく「今、この瞬間」の出来事とし、少女を生き生きと描くことができたように思います。
(2022.09.23 ヒューマントラストシネマ有楽町にて鑑賞)
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