[コメント] もっと超越した所へ。(2022/日)
同時進行する四つの話の空間が横滑りして、だんだん回転するように勢いづいて、ついに時間が巻き戻る。そんな時空をもてあそぶ感覚は、世間に溢れるカップルの俗な悩みをデフォルメして面白い。ここで止めておけばいいものを終盤の"大仕掛け”はちょっとあざとい。
こういう演劇の舞台っぽいたくらみは、もう50年近く前になりますか、寺山修司という不届き者が撮った映画で経験してしまっていて、オジサンの私には懐かしさこそあれ驚きはぜんぜんないのです。むしろ驚いたのは登場するカップルたちの顛末。皆さんかなり手ひどく傷ついているのに原作・脚本の根本宗子さんの持ち味なのでしょうか、まあ優しいというか甘いというか。
いっこうに超越した所へ至ったように見えないのですが、このタイトルは昨今のカップルが体感している、現実の惚れた腫れたのリアルな感覚からいささか浮いてしまった"形式的なフェミニズム”を皮肉った逆張りのギャグなのでしょうか。
あと、型にはまったお芝居に終始して前田敦子さんや趣里さんに、いつもの伸びやかな奔放さがなかったのがファンとしては肩透かし。そのぶん伊藤万理華さんの、いかにもな令和ギャルの喜怒と哀楽の"らしさ”が印象的でした。
以前、『マイ・バックページ』(2011)の感想で私は「今、日本映画界にあって「横柄さ」を演じて右に出る者のいない三浦友和」と書いたのですが、三浦貴大さんは(近作『夜明けまでバス停で』もそうですが)嫌な奴役を邁進。歌舞伎みたいにお父さんの後を継ぐつもりでしょうか。
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