[コメント] イニシェリン島の精霊(2022/英)
十字架の置かれた、あるいは十字の格子のはまった小さな窓が、内と外を隔てる。
『カラマーゾフの兄弟』に出て来る、スメルジャコフという人物を巡る描写の、あの一節をまた思い出す。平凡な市井の人物が、日々黙然とした生活の中である種の印象を密かに、恐らくは我知らず蓄えていき、ある日突然、彼は故郷の村を焼き払うかも知れないし、聖地に魂の巡礼の旅に出るかも知れないし、あるいはその両方が同時に起こるかも知れない、という描写。一見何事もなく、つまりは何者でもないかの様な市井の中の平凡な人物の中にとて、それだけの激しい情熱、即ち“力”が蓄えられているかも知れない、という描写。
解釈の余地を残した構成は、映画の脚本としては“いい手”ではあるかも知れない。あれこれのそれらしい要素は細部の描写として散在させておいて、あとは見る人自身が何かを読み取ってくれればいい、とでもいう様な。
映画なりの描写として印象的なのは内と外の描写。とくに十字架の置かれた、あるいは十字の格子の嵌った小さな窓が、内と外を繋ぐものとして、視線の媒介ともなり、境界ともなる。それを介して内から見た外は、眩しく光り輝く世界でもあり、また敢えて出て行く場所でもある。
敢えて出て行く場所ということで言うなら、島の内と外の関係にもそれは対応するかも知れない。 外を意識するからこそ逆接的に内をも意識する。対岸の戦火は、確かに此岸の“自分達”への呼び声とはなったのかも知れない。
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