[コメント] 青春の殺人者(1976/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
死を選択するだけの勇気を持ち合わせず、自身をアンチヒーローとして昇華させることすらできない主人公の苦悩は、そのまま彼の居場所の喪失=孤独へと繋がる。そしてこの事実こそ、彼が“青春の”殺人者たる所以であり、そこには自らのアイデンティティの不確定さに戸惑い、目標とするべき“(実態のよく分からない)巨大なもの”を自らの脳内に作り上げ、そしてそれによって打ちのめされる若者の姿が重なり合う。
家を燃やし自殺しようとする彼ではあるが、あえなく挫折してしまう。彼の「熱い!」という叫びは、若者の挫折の叫びだ。僕たちはこの「熱い!」という彼の叫びを聞いたその瞬間彼と一体になるのであり、だからこそあのラストが胸に染みるのだ。
そう考えてみると、この作品の演出自体も、その内容に対して、危なっかしくはあるのだが、非常に相性が良いと感じる。血と洗剤とキャベツの組み合わせや、青臭いセリフ回しなど、どうもこの作品には、勢いで押し切ったような表現(悪く言えば洗練されていない表現)が目立つが、話自体は“青春”を扱っているのであり、“等身大の作品”とでも言えば良いのだろうか、少なくともその点においてバランスは保たれている。
特典として収録されていた長谷川和彦のインタビュー映像は興味深い。その中で、キャベツの演出について言及されている場面があるのだが、彼曰く「どうして良いかよく分からないので、とりあえず脚本通りにやっといた」・・・らしい。なるほど、そのことが分かれば、行為の内容こそ異なれど、漠然とした目的に突き進むという点を同じくするところから、この作品自体が監督にとっての挑戦だったのであり、主人公にとっての“死”であったのかもしれないという考えに行き着く。そしてこの緊張した関係こそ、この作品の危なっかしい魅力の根源だと僕は思う。
しかし主人公が挫折するこの作品において、監督は逆に成功を手にしてしまった。彼が主人公と同じ“熱さ”を真に体験したのは、太陽を盗んだ男以降の話になりそうである。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (3 人) | [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。