[コメント] 冒険者たち(1967/仏)
映画を見終った人むけのレビューです。
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レティシアが、自分の個展を批評家に腐されてローランやマヌーに泣きつくのは全く構わないのだけど、この二人との宝探しの船の上、「個展は開かない」「海の上のアトリエで制作する」と、簡単に言ってのけてしまうのが、どうにも違和感を覚えてならない。ちょっと世間から拒絶されただけで自分の方でも世間を拒絶し、引きこもり体勢に入る作家なんて、最初から作品を表に出す資格は無い…それを二人の男は「嫉妬してるんだよ」などと甘やかし放題。批評すらされない若手作家の苦渋と屈辱を想像しろよ、と言いたい。目立つ金属のドレスを身に纏って展覧会場で人々に囲まれるレティシアの姿は、ローランとマヌーの目には眩しく見えたようだが、僕からすれば、美貌とファッションだけで人の耳目を集めただけの軽薄な作家、という印象が拭えない。
と、個人的に現代美術を愛好する者としては、レティシアの性格にはどうしてもケチをつけずにはいられないのだけど、実際の所、この映画にあっては、彼女が‘本物の作家’である必要は無い。むしろ、ローランが自動車産業に革命を起こしてやろうとして自ら開発した車に乗り込み疾走、機体不調、脱出、機体炎上、と、結局は鉄屑を残しただけで終わり、またマヌーは他人の嘘を信じて凱旋門を飛行機で潜ろうとして失敗、免許剥奪、となったように、レティシアもまた落伍者になる必要があったのだろう。二人の男は金属の乗り物に夢を賭けていたが、レティシアは逆に、機能性という意味では無価値なものである鉄屑を、詩的に再利用する事に夢を賭けていた。二人の男にとって鉄屑とは、失敗、挫折の象徴でしかない筈で、だからこそ、挫折した二人の男にとってレティシアは、新たに希望を託する存在となる。それはまた、挫折した芸術家である彼女、鉄屑のような彼女を、二人の男が再び輝かせたとも言える事。共に失敗したローランとマヌーがルーレット賭博にその欲望を向けた時、ルーレットの回転と、レティシアの無邪気なモビールの回転が成す対照性。
マヌーは、日本人の名を騙った男の儲け話に引っかかったり、同じ男の語る埋蔵金の話に乗ってコンゴへ向かったり、レティシアの名を聞いて「ロシア人風の名だ」と褒めてみたりと、どこか外へ心が向かっている風で、彼が飛行機乗りであるのもこの性格とよく合っている。その彼が凱旋門を潜ろうとして、フランス国旗に邪魔されるというのも皮肉な話。
冒頭でマヌーはレティシアに、派手な曲芸を見せていたが、宝探しの為に海に潜った際には、海底で、沈んだ飛行機を見つける。そこに、その飛行機の乗客が持っていた金と宝石があるのだが、これを見つけてローランと彼が喜びあう場面は、夢が沈んで実益が浮上した瞬間だ。そうして二人の男の新たな夢であったレティシアは男たちの金銭欲の犠牲となり、「私の恋人」と言っていた海に沈めて埋葬される。錆びた鉄の潜水具を身につけられて沈む彼女は、自身の詩の素材であった鉄と一緒に永遠の底に沈む。宝の在り処であった飛行機=鉄屑は、乗っていた遺体と共に、男たちによって先に海の底に沈められている。
ローランとマヌーがレティシアの故郷に行き、そこで会った、彼女の甥の少年が博物館の解説をしているのも、残骸に価値を見出すという意味では、どこかレティシアと相通ずるものもある。彼は、レティシアが語っていた「海の上の要塞」の事も知っている。彼女は、宝探しの船の上で、この要塞で暮らしたいと言っていた。マヌーに「俺もそこで暮らしていいか」と言われると、微かに躊躇を感じさせる様子で「ええ、三人の家だもの」と答える。だが彼女は、ローランに、「貴方と暮らしたい」と告白するのだ。つまりはレティシアもまた一人の女なのであって、男二人の友情と齟齬なく共存する‘夢の女’などではないのだ。既にこの時点で、後の別れは予告されていた。彼女の非業の死は、むしろローランとマヌーの間に生じ得た亀裂を回避する役割を果たしていたと言える。
彼女の死後、あの要塞の上でローランは、再び飛行機乗りとなっているマヌーに、要塞を船に見立てたホテルを一緒にやってみないか、と持ちかける。まるであの宝探しを再演しようというような計画だが、そこに闖入した、あの宝の飛行機を追っていた男たちによって、要塞は戦場になる。レティシアの夢が託された要塞は、この闘いによって無惨に爆破され、破壊され、瓦礫を重ねていく。しかも、要塞に残された爆弾、半ば‘鉄屑’と化しつつあった物によってだ。マヌーも、最初に少年に銃を見せられた時には、弾丸を全て撃ち尽くして、完全に鉄屑にしてしまおうとしていたのだ…。これほどに切ない爆破シーンが、かつてあったか?
敵に撃たれ、逝きかけているマヌーに、ローランは「レティシアが何て言ったと思う?お前と暮らしたい、だ」と嘘をつくが、当の相手は「嘘つきめ」と呟いて死ぬ。マヌーは既に幻滅していた訳だし、そんな彼にローランが幻影を与える事は出来ず、またその事によってローラン自身が、一抹の、幻の幸福感に浸る事も許されないのだ。二人の不在という孤独感の他、全てを奪われたローランが、海に取り囲まれて孤立した要塞に取り残された姿を‘空撮’して終わるこの映画は、本当にシンプルな、海と空の映画なのだ。
レティシアの事を好きになり切れていたら、4点を付けられた筈なのが残念。
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