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[コメント] 国葬の日(2023/日)

静岡の水害現場。独り暮らしと思われる老婦人がボランティアの青年たちに心からの謝意を示す。その申し出に戸惑う清水東高サッカー部員たちの無垢の精神性のまえに、岸田文雄が「国民に弔意の強制はしない」といった“なんちゃって国葬”の薄っぺらさが露呈する。
ぽんしゅう

国民が弔意を示さなくてもいい「国葬」ってなんだ? 岸田が安倍の国葬を言い出したとき、この人は何を言ってるんだろうと唖然とした。賛成とか反対とか言うまえに「なんか違うだろ」と思った。本作のボランティア高校生の清廉な言動をみて、その「なんか違うだろ」の違和感の正体が分かった。

いくら権威や様式を取り繕ったところで人の心は動かないのだ。人が心から「行動を起こしたい」と思うのは、人のために無償で尽くしたいという無垢な精神に、こちらもまた応えたいと感じたときだ。都合の悪いことは誠実さ欠いた詭弁と強弁ではぐらかす“あの人”の精神性はあまりに貧相だった。結局彼には長期政権と外交成果という見た目のカタチでしか誇示するものがなかったのだ。だがら「弔意」という純粋さに起因する感情をもてあそぶ仕組まれた形式や賛辞などすぐに馬脚を現すのだ。

そういえば、岸田が変なことを言い出したとき、本当に国葬に相応しいのは誰だれだろうと考えてみたのを思い出した。頭に浮かんだのは国連難民高等弁務官を務めた緒方貞子氏(2019年没)とアフガニスタン復興に努めた田中哲氏(2019没)だった。

本作で国葬に明確にNoと意思表示をしたのは辺野古に集う人たち、南相馬市で静かに暮らすお婆ちゃん、前日の台風で被災し泥まみれになった静岡市清水区の住人たちだけだった。みんな切実なトラブルに巻き込まれ国の誠実さに対して不信感を抱いてしまった人たちだ。

国葬当日に賛否を問われたその他の多数の人たちの応えは不甲斐ない。反対だが国が決めたのだからしょうがない(きっと何にでも従うのだろう)。すいぶん長く総理大臣をしたのだから、まあいいんじゃないか(こんな理由じゃ私だって安倍に同情する)。俺は反対だが当日会場の前で反対デモをしてる奴らは海外の客にたいして恥ずかしいからダメだ(何よりも体裁が大事なのだろう)。自分以外に責任を転嫁し「あいまい」にして自分をごまかすそんな日本人たちをカメラは捉え続ける。

これが国葬に反対と(とりあえず)答えていた6割の日本人の姿だ。賛成か反対かと問われれば(日本の義務教育の水準をもってして)分からないと答えるのはプライドが許さない。まずは有識を装って(周りの様子をうかがいながら)Yes or Noと答えてみる。でも本当は安倍の国葬なんてどうでもいいと思っているのだ。そんな本音が撮れてしまった2022年9月22日の記録。

とても清々しい若者たちと、どうしようなくダメな日本人たちをみてしまった。複雑な気分だ。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)寒山拾得[*] ペンクロフ[*] DSCH

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