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[コメント] ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ(2024/米)

社会システムを維持したい常人たちは、社会秩序の紊乱者ジョーカーを、ただの社会的落伍者でしかない小市民アーサーとして精神鑑定と陪審員裁判という社会的合理の範疇で“処理”しようと試みる。ジョーカーとアーサーの狭間で揺れ動く寄る辺ない男の悲しみ。
ぽんしゅう

「ザッツ、エンターテインメント」!!。アーサーに成り下がった男をジョーカーに引き戻そうとするハーレイ・クイン(レディー・ガガ)は、そう歌い上げ、呪文のようにそう囁く。

エンターテインメントとは、社会システムを維持するための合理の対極にあり、情緒や感情という不合理や不条理の“柔軟な表出”だ。だからハーレイが体現する「エンターテインメント」は端から社会的合理の外側に存在しているのだ。その証拠には前作『ジョーカー』でも“笑い(コメディ)”というエンターテインメントが物語の重要な鍵になっていた。本作のミュージカルパートはジョーカーとハーレの閉じられた世界として描かれる。ジョーカーは何者なのかという「世間」の喧騒のなかで社会的合理の範疇を超越するか否かの結界で揺れるアーサー(=ジョーカー)がスリリングだった。

そして正直なところ私は“あのジョーカー”に裏切られたようで唖然とした。しかし冷静になってみるると、それは私の勝手な(映画というエンターテインメントに託した)妄想であり、無責任な(自己満足としての)破壊願望に起因しているのではないかと気づいた。トッド・フィリップスは前作『ジョーカー』に対する真摯なアンサー映画として本作をもって社会的責任を果たそうとしたのだろう。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)水那岐[*] もがみがわ けにろん[*]

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