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[コメント] トカレフ(1994/日)

人の営みにまるで興味がないように天を目指して成長する街。反比例するように深く男を蝕む社会への苛立ちとあてどない怒り。団地という閉塞的空間で醸成される現代的リアリティが生み出すラストのアクションの圧倒的緊張感。
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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大和武士の「怒り」は容易に想像し得るが、社会の歪みから生み出された理不尽と不条理の犠牲者もまた、社会の歪みとなって日常を脅かす存在となる。怒りに我を忘れた男の眼に、もはや「社会」は映らない。彼は暴力そのものになり、復讐の対象のみを血走った眼で探し、追跡のために警官すら撃つ。「(警察や社会がやらないなら)俺が殺す」山口県の某事件をリアルに想起させる凄みがここにある。思えば「あんたが殺しなさいよ!」という妻の叫びが「引き金」になったのだろう。ほとんど他人事ではない。

一方で佐藤浩市演じる男もまた、静かに、しかし重く苛立ちと怒りを滾らせる。爪の間のインクをブラシで掻き出す、新聞、バスの外の風景や「円満な家庭」を虚ろな眼差しで見やる表情、エンジンのかからないバイク。無言の画で語らせる阪本順治の巧さ。松浦の部屋に積み重なる無数の新聞紙に、リアルな虚無、怒りと孤独の重みを見て戦慄する。「何もかも終わってしまえ」という諧謔的な表情。思えば西山由海とすれ違う視線が「引き金」になったのだろう。ほとんど他人事ではない。

もはや社会の歪みとして同じ土俵に立つ二人が対峙するシーンは、二人が同等であるが故、息も出来ない緊張感に満ちている。大体復讐物というのは、カタルシスのために主人公が圧倒的に優位な立場に作為的に立たされるまでの筋書きが主であるが、本作にはそれがない。阪本順治が全く平等である故、立ち会う我々もどちら側にも偏ることなく二人の中間に立たされていることに気づく。巧みな誘導により、どちらも我々は裁けない。映画として結末を全く予測できない対峙を阪本順治は実現した。この異常なほど濃密な緊張感は、正に映画として至上の醍醐味。大傑作。

ところで頭を撃ち抜かれても死なない、って『キル・ビル』の元ネタなんですかね?

(評価:★5)

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