[コメント] バートン・フィンク(1991/米)
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べろりと剥がれる壁紙や耳垂れ、その他諸々の不快のイメージの連打には率直に賞賛を送りたいし、あるいはタトゥーロとグッドマンの存在自体が観客にとっては不快そのものだと云ってもよい。そして、この映画における不快の最たるものが「暑さ」であることは云うまでもないだろうが、しかし問題はその暑さがまったく観客に伝わってこないという点だ。
むろん「いや、自分にはじゅうぶん暑さ伝わってきたよ」という人がいてもおかしくはないけれども、少なくとも私にはその暑さが感じられなかった。それは「暑さ」がたかだか台詞や汗、壁紙の剥がれといったものでしか表現されていないからだ。要するに、暑さをはらんだ「空気」を撮ることができていない。それはおそらく照明ないしプリントの焼き方の問題なのだろうが、もちろん、とりわけ陽を遮られたホテルの室内においては単純に照明を飛ばせばよいというものでもないだろうから、技術的な困難が伴っていたであろうことは推測できる。だが、ここで私が思うのは「『暑さ』が撮れていないということもコーエンの意図するところなのではないか」ということである。なぜなら、登場人物が味わう感覚を共有できないことほど観客にとって不快となる体験はないからだ。砕けて云えば「タトゥーロやらグッドマンやらみんな暑い暑い云ってるのに、こっちにはぜんぜん暑さ伝わらないよー。なんかキモチワル〜」ということだ。
また、延々と続くホテルの廊下や炎といったイメージも「美の不快」(「不快の美」ではなく)として秀逸だ。が、このように『バートン・フィンク』を「不快」の映画として見ると、ラストの浜辺の美女に対する台詞「Are you in pictures?」のダブル・ミーニングは綺麗に決まりすぎていて、ちょっと腹立たしい。
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