[コメント] 五番町夕霧樓(1963/日)
悲しい話だ。五千万人に一人くらいはこういう男もいるのかもしれないね。75/100
人間としての生存能力みたいなものがものすご〜く弱いよこのクヌギ田という坊さんは。ドモリをからかわれたためひねこびる。夕子という理解者がおりながら偏向する。果ては金閣寺(鳳閣寺か)放火。理解者なんていなくたって、みんな一人で頑張ってんだと思うけど(そう考えると、夕子という理想的な理解者の存在が、彼をますます駄目にしたのかも。悲しい話だ)。こういう話をお涙頂戴式の悲劇として描くのはどうなんだろう。こういう苦しみを抱えながらも苦労して暮らしている人には、まったく希望のない話。そうじゃない人には、やっぱりこういう輩に余計な同情をかけちゃいかんのだな、と思わせかねない。まあ、普通は「こういう弱い人たちには救いの手を差し延べてあげなきゃいけないな」と思うんだろうが。
質問)
:遊郭で本名をそのまま源氏名にすることってあったんですか?夕子っつんだけど。
:クヌギ田は添い寝して歌うたってただけで何もしてないんだろ。田舎にいたときも夕子の兄みたいな存在だったんだろ。夕子の処女を奪った男って誰なのさ?
:しっかし宗教ってなんの役にも立たんのだな。あ、これは質問じゃない。
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